JUSTICE

7

静かにピアノが奏でられている。
哀しげな唄が木霊する。

此処は心の還る所。
隠された自分を呼び戻す所。

「ようこそ、『ベルベッドルーム』へ…」

* * * * * *

いつもと変わらぬ趣で、
イゴールが此方へ歩み寄ってきた。

「ん?」

保に抱きかかえられた男の尋常ではない様子に
彼は微かに眉を動かした。

「…これは?」
「解らない。
 ただ、パオフゥが酷く苦しんでいるんだ」
「……」

イゴールは黙ったままだ。
じっと薫の様子を注意深く観察している。

「ペルソナに対して呪いを掛けられている様ですね」
「ペルソナに?」
「そうです。ですから ペルソナを行使するだけでなく、
 降魔している状態でも影響を及ぼすみたいです」
「ペルソナを…呪う、か」

いまいち納得出来ない様子で隆志は言葉を濁した。

「それじゃ今苦しんでいるのも…」
「ペルソナ自体がかなりのダメージを受けているのでしょうな。
 そして、それはジワジワと進行している…」
「どうすれば、助けられる?」
「……」

イゴールは口を閉ざした。
安易には言えない。
態度がそう伝えていた。

ピアノの音が、不意に止まる。
長い沈黙が、蒼い部屋に訪れた。

* * * * * *

「…封じるしか、有りませんな」

意を決し、イゴールは結論を口にした。

「そんな事、出来るんですか?」

秋奈の問い掛けに、無言で頷く。

「本来、人は誰しも『ペルソナ』を秘めているものです。
 貴方様達はそれを具現化出来る能力を持っておられる」
「…成程」

理屈は理解出来たらしく、隆志が相槌を入れた。

「その能力を封じるという事か」
「完全に、と迄は行きませんが。
 ペルソナを普遍的無意識の海に戻す事なら。
 ただ……」
「ん?」
「今迄ペルソナの恩恵に肖っていた状態で、
 『普通』に戻れますかな?」
「……」
「従来の能力を遙かに凌駕した物は
 ペルソナの恩恵有ってこその物。
 それを手放す事になるのです。
 生半可な事ではありませんぞ…」
「…生命には代えられないよ」

静かに、保はそれだけを告げた。

「本来、この選択を選ぶのはパオフゥなんだろうけど。
 それでも俺は彼を失いたくない。
 このままで、終わらせたくない…」

ナナシの指が再び鍵盤の上を舞い始めた。
幻想的なメロディが部屋中に広がっていく。

「…それが『人間』の心という物なのですな」

イゴールは、笑った…ようだった。

「承知致しました。では、儀式を執り行いましょう。
 但し、この処置を施したとしても
 呪いを除去した事にはなりませぬ。
 それだけは御了承の程を…」
「お願いします」

保は深々と頭を下げる。
それは他の3人も同じだった。

* * * * * *

篤志より託された小さな鍵。
うららはその鍵を何度も眺めては溜息を吐いた。

使用する場所は判っている。
ただ…開けようとすると手が震える。
背徳心ではないが、
どうも後ろめたい気がしてならないのだ。
以前この部屋を使用していたという人物の事も気に掛かる。
どうするべきか、で彼女はずっと悩んでた。

随分とのんびりとした状態だなと苦笑しつつ。

「…何時までもこのまま悩んでる訳にも行かないのよね。
 篤志君も『開けて良い』と言ってくれてた訳だし」

実はその後押し発言が気になっているのも事実だ。
「駄目だ」と言われると反抗してしてみたくなるのが心情だが
肯定されると何故かそれ以上踏み込めなくなってしまう。
あの男なら気にせずに開けてしまっているだろうが。

「ねぇ…?」

うらら愛しげに腹部を撫でながら
其処で息づいている生命に声を掛けてみる。

「貴方ならどう思う?」

* * * * * *

「G体の様子はどうだ?」

初老の男は片肘をついたまま資料を眺めている。
その状態で篤志の返答を待っていた。

「…特に、変化はありません」
「そうか」
「…はい」

篤志にとっては息が詰まりそうな時間だった。
此処で言う「G体」とはうららの事を指している。
彼女を人として扱う気が全く感じられない。
この研究所にいる者達も同じような感じである。

まともな神経の持ち主(だと思われる)あの男、神取も
今は此処に居ない。
彼はたった一人でうららを守らなければならないのである。

「…どうしても、彼女が必要なのですか?」

何度目かの反論に出る。
「?」
「『P』計画も『A』計画も
 順調に運んでいると云う報告が出ています。
 彼女抜きでも実行に支障は…」
「道具が多いに越した事はない」
「しかし…!」
「それに、必要なのは『母体』ではない。
 中身だけだ」
「…母体はどうされるつもりですか?」
「捨置け」
「……」
「お前は何故価値の無い『母体』に注目する?
 私は其方の方が理解不能だが」
「…研究の末、貴方が見出したい物は何なのですか。
 僕にはそれが解りません」
「解らずとも良い」
「父さん…」

篤志は真っ直ぐに男を見つめた。

「神になったところで…失った者は手に入りませんよ」
「ならば生み出せばいい。
 技術にはそれだけの可能性がある」
「…失礼します」

歯噛みしつつ、篤志は踵を返した。
その瞳に怒りがハッキリと浮かんでいる。

「百合華姉さん…」

扉を閉じ、一人きりになった所で
彼はそっと呟いた。
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