路地裏

1.始まり(第壱幕)

「おい!」

その通る声を聴いた時に先ずは我が耳を疑った。
腫れ上がった瞼の隙間から言葉の主を確認し
更に驚きで声を失った。

まさか…。
いや、そんな筈は……。

「何だ、テメェ? 今取り込み中なんだ。後にしな」
「オッサン達よぅ、二人係りで弱い者虐めか?
 良いからとっととその男置いてお家にでも帰んな。
 俺がまだ【仏心】で居られる内にな」

直後、寿星が思い切り顔を顰める。
この【仏心】が3分と保たない事位、
百も承知なのだから。

当然、こんな煽られ方をして黙っている程
黒服連中が大人しい部類ではない事位
この男は重々承知している筈だ。
何故、【わざと言葉であおる】必要が有ったのか。
それは…。

「はい、時間切れ」

男はそう言って笑みを浮かべた。
と同時に、その足はアスファルトを蹴り
瞬時に黒服の側迄駆け寄ると、
其処から右腕のアッパーカットを顎に炸裂させた。
振り向き様に左足で
もう一人の黒服のこめかみ目掛け
回転蹴りを食らわせる。
流れる様な身の熟しからも
男が武道経験者な上に
喧嘩慣れしている事が伺えた。

「お? 立つか、これでも」

アッパーカットを食らった黒服は
手で顎を押さえながらも何とか立ち上がった。
一撃で倒れなかった事を寧ろ歓迎してか
男の表情が更に明るくなる。

「良いねぇ~!
 最近歯応えの無い奴にばかり噛み付かれて
 少々食傷気味だったんだよな。
 オッサン達、少しは楽しませてくれよ?」
「五月蝿ぇぞ、このチンピラが…っ!」
「オッサン達の方が余程チンピラだっつーの」
「テメェーーーッ!!」

怒りに震える黒服は男に向かって突進し
殴る蹴るの攻撃を加えている…筈だったが、
男の身軽な動きについて行けない。
拳も蹴りも、後一歩の所で巧みにかわされる。
動体視力が高いのだろう。
済んでの所でヒラリと返す様はまるで牛若丸だ。
呼吸も乱れておらず、踊る様に攻撃をかわす。
それだけで相手に精神的ダメージを与えているのだ。
焦る相手は更に大雑把な攻撃を繰り返す悪循環で
どう考えても『遊ばれている』様にしか見えない。

朔耶さくや兄ぃ、少しは加減してやってよ!」

寿星に声を掛けられ、朔耶はウィンクを返すが
当然、手を抜いてやるつもり等は毛頭無いだろう。

(さく…や…?)

結果、守られている状態の男は
唖然とした表情を浮かべていた。
伸ばし切った髪と髭、所々裂けた濃紺の着物。
浮浪者とも思われる様な格好の男だ。
黒服が何故周到に攻撃を加えていたのか
朔耶や寿星には知る由も無い。
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