叔父貴

1.始まり(第壱幕)

水分を吸った着物を抱えてるかの様な感触。
成人の男一人を担いでいる様な重みを感じず
霧か霞の様に目の前から
突然消え去りそうな雰囲気。
それを唯一否定するのは
他ならぬ男が漏らす荒い呼吸音。
受けた暴行のダメージが時間を追う毎に
体中を侵食しているのだろう。

(こうなる前に反撃出来た筈。
 あの身の熟し、相当場数を踏んでる筈だ。
 なのに何故、此処迄耐える必要が有ったんだ?)

朔耶にはそれが理解出来なかった。
下手をすれば殺される寸前だった。
それでも自分達が割り込まなければ
されるがままで居た可能性は高い。

(自殺志願の訳でも有るまい。
 ならば今日日、もっと楽に逝ける方法なんざ
 腐る程有るって云うのによ…)

慣れた道を駆け、寿星を促して
と或るマンションのオートロックを解除させる。
目的の医者が住んでいる高級マンションだ。

叔父貴おじき! 居るんだろ、叔父貴!」

両手が塞がっているのでノック代わりにドアを蹴る。
時刻はそろそろ日付を越える頃だった。

「叔父貴!」
やかましいわ、朔耶ッ!!」

ドアを破壊する勢いで内側から放たれる。
部屋の照明を背に現れたのは
着崩れて薄汚れた白衣を纏った
大凡『医者らしくは見えない』中年の男だった。
この男が噂の【名医】らしい、
朔耶の叔父の朝露あさつゆだ。

「叔父貴、急患だ。早く診てやってくれ。
 金は俺が出す」
「…断る」
「何でっ?!」
「臭いねん!」
「……」
「不衛生な野郎を診てもしゃあないやろが」
「アンタ、それでも医者か?」
「診て欲しけりゃ、真面な格好をさせてからにせぇや。
 浮浪者を診てやる程、俺ぁ 暇人ちゃうねんっ!」

バタンッ

開けた時と同様に派手な音を立てて閉まるドア。
その内に壊れるんじゃないかと
寿星は本気でドアの心配をしていた。

「…チッ」
「あの人の性格上、こうなるって
 兄ぃも解ってた筈でしょ…?」
「考え通りの言動だから余計に腹が立つ」
「……」

ならば他の手段を講じれば良いのに、と思ったが
今の朔耶にそんな事を口走ろうものなら
生命を捨てる覚悟で挑まなければならないだろう。
流石に自分の生命は惜しい。
寿星は言葉をそのまま飲み込み、様子を伺った。

「だから…捨て置け、と言った筈じゃ」
「出来る訳ねぇだろ」
「…解せんな」
「要するに、身綺麗になれば診てくれるんだろ?
 なら…風呂入ってから来れば良いんだよ」
「……?」
「何所で入れるんですか? ラブホ?」
「阿呆か、寿星! 俺ん家に決まってるだろ」
「…今度は親父さんに文句言われませんかね?」
「言わせねぇよ。
 兄弟揃って人でなし発言されちゃ堪らん」

こうなれば【意地】である。
何が何でもこの男の治療をさせてみせる。
朔耶はそう決意すると、
直ぐさま目的地を自宅に設定して走り始めた。
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