理 由

1.始まり(第壱幕)

幸い父親は不在だったらしい。
朔耶はそのまま浴室に直行する。

「湯を張る迄 暫く時間が掛かるから
 床で悪いが横になっててくれ」

脱衣所の床にそっと男を寝かせると
朔耶は慣れた手つきで風呂支度を始める。
やがて浴室には湯気が立ち込め
程好い熱気が脱衣所に流れ込んで来た。

「済まないな、痛むだろうが。
 風呂入ったら直ぐに診せてやるから」

そう言いながら男の着物に手をやると
あろう事か、呆気無く布が裂けてしまった。
年季が入っていたのか
随分と繊維が脆くなっているのだろう。

「…ヤベッ」
「気にするな」
「でも、お前の愛用だろ?」
「これしか持ってはおらんが何とかなるだろう」
「何とか、ならないと思うなぁ…」
「……」

寿星の突っ込みに朔耶が鋭い視線を送る。
『黙れ』と言いたいのだろう。

「髪も洗わないとな。これ、伸ばしてるのか?」
「勝手に伸びてきただけじゃ」
「じゃあ、切っても良い?」
「構わん。好きにせい」
「解った。見れる様に整えてやるよ。
 恐らくはあの叔父貴の事だ。
 髪や髭にケチ付けて診察放棄しかねん」
「…何故じゃ」
「ん?」
「何故其処迄する?」
「…う~ん、多分『したいから』だろうな」
「…解せん」
「まぁ、そりゃそうだろうな。
 俺だってよくは解らないから。
 ただ…『しなきゃいけない』
 何かを感じてるのは確かだ」

男は暫し朔耶を見つめた様だった。
何かを言いたげな、しかし声には成らず。

「今はそれで良いんじゃないかって思う。
 何となく、お前を助けたい。
 …それだけだ」
「…そうか」

静かで深い声が耳に届く。
これがこの男の本当の【声】なのかも知れない。
穏やかな響きを含んだその声に
朔耶は優しい微笑を浮かべた。

* * * * * *

長い髪を散髪し、
伸び放題の髭を剃った男の顔は
意外な程に幼い感じを受けた。
年頃は自分とほぼ変わらないか
寧ろ自分より若いかも知れない。
印象としてはそんな感じだ。

ただ、奇妙な事が有った。
下着の類を知らないらしく、
朔耶が与えたブリーフを
帽子と勘違いして被ろうとしたのだ。
流石にこれには慌てた。
朔耶は下着である事を説明したが
果たして理解出来たかどうかは怪しい所である。

着物を着用していた所から見ても
洋装の類は殆ど知らないと言っても
良いのかも知れない。
時代錯誤なのは言葉遣いだけでは無かった。
つまりは、そう云う事なのだ。

「お前って…変わってるよな」

苦笑を浮かべる朔耶だったが
当人は何を言われているのか
サッパリ理解していない表情だった。
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