撤 退

10. 別れ(第壱幕)

鳴神を守る様にして吹き荒れる【刃の風】。
それが乾月の生み出した【結界】である事に気付いたのは
今を以っても十六夜だけであった。

「師匠が本気で切れちまったからな。
 巻き込まれない内にさっさと十六夜を連れて退きな」

刃の風に守られた状態で鳴神は三度目の警告を出す。
朔耶は黙って頷き、十六夜の体を抱き上げると踵を返した。

「逃げるのかえ? 武士とも在ろう者が」
「…俺は武士じゃねぇ。【退魔師】だ」
「泣き言じゃな」

朔耶の性格上、この撤退は最大の屈辱であっただろう。
だが現状はどう見ても自分達が不利である。
奥歯を噛み締め、悔しさを押し殺しながら
朔耶はそのまま駆け出した。その後に神楽、繊、寿星と続く。

「さて、と。これで漸く真面に戦えそうだね。鳴神?」
「そう云う事。で、師匠。何、その恰好?」
「決まってるでしょ? 白装束」
「持ってたんだ、そんな着物」
「あぁ」

姿を現した乾月は冷たい笑みを浮かべながら視線を六条親王に向ける。

「この着物、まだ不完全なんだよね。
 この白地に、返り血が混ざり合えば映えると思うんだけど」

六条親王は苦虫を潰した表情を浮かべて無言で乾月を見つめている。
彼の言葉の中に在る真意を見抜けないままなのだ。

「じゃあ、始めようか」

あくまでも飄々としたままの乾月と笑いながら【村正】を構え直す鳴神。
二人の姿勢からは【死の覚悟】は全く見当たらなかった。

* * * * * *

乾月から依頼が入っていたと、朝露は言った。
既に用意された部屋で、十六夜の治療が始まる。
あくまでも緊急措置程度でしかなく、延命治療ではない。
十六夜を救うには、やはり【陰陽鏡】を取り戻すしかないのだ。

「乾月さん達、大丈夫かな…?」

治療の間、別室で待つ繊は思わずそう呟いた。

「あの六条親王って奴、人間業じゃなかった…」
「本当に、よく無事だったと思いますわ……」
「師匠と鳴神の兄貴なら大丈夫だと思うよ。
 真面にやり合う気は無いって言ってたから」
「寿星、お前……?」
「御免、兄ぃ。師匠から口止めされてたんだ。
 師匠も鳴神の兄貴も、兄ぃが必ず彼奴アイツと戦うって解ってたから」
「…そう、か」
「神楽ちゃん、繊。疲れてる所悪いんだけど…」
「そうだったね」
「ん? まだ何か有るのか?」
「あぁ…。乾月さんからの宿題がね」
「調べ物が残ってるんです。
 六条親王との戦いに於いてもきっと大きな手となる筈だと」
「それも師匠が?」
「はい」
「流石だよ、あの人は……」

自分が道に迷っている間にも、
師である乾月はあらゆる手を尽くしていた。
師の懐の深さと意識に救われている事を噛み締めながら
朔耶は祈る様に時計を見つめた。
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