二人の朔耶

8. 葛藤(第壱幕)

流した少量の涙も、やがては汗と同化し見えなくなった。
夢に迄見た温もりを貪る様に十六夜は肌を重ねてくる。
予想だにしない積極的な態度に面食らったのは朔耶の方だった。

「い、十六夜?」
「何じゃ?」
「お前、その……」
「私とて無駄に長く生きておる。知らぬ訳じゃない」

『知っている』、この場合はつまり『経験が有る』と云う事。
少し自分の心が痛むのを朔耶は感じていた。

「あ…そう、ですか……」
「ん?」
「いや、実はな。
 お前がこう云う事をするのは俺が初めてだと思ってたんだよ」
「朔耶……」
「なのに…何処ぞの馬の骨がお前に触れてたかと思うと、な……」

クスッと笑みが朔耶の身体の下の方から漏れた。
十六夜が吹き出したのだ。
そのまま自身の両手で優しく朔耶の両頬を包み込む。

「これが…初めてで良いではないか」
「十六夜……」
「これが私にとっての【初めて】じゃ」
「十六夜、お前…」
「宣言したからな、朔耶。お主こそが私の【初めての相手】ぞ」
「…ありがとう、十六夜」

やはり十六夜は【男】なんだな、と朔耶は強く感じた。
このどうしようもない独占欲でさえ、彼は笑顔で理解し受け止める。
出逢った当時、強く感じた十六夜の背中の大きさは
そのまま彼の【包容力】だったのだと確信出来た。

だからこそ余計に今は強く思える。十六夜の様な男に成りたいと。
そして他ならぬ十六夜を護りたい、と。

長く時間を掛ける愛撫が、何よりも今の朔耶の十六夜への答えである。
大切に、大切に。
自身に暗示を掛けながら、秘められた宝箱をゆっくりと開いていった。

* * * * * *

目の前に居る人物がどちらなのか、判断に窮してきた。
朔耶、さくや…。それは間違いない。
だが、一体どちらの朔耶なのだ? 蓮杖? それとも…?

嗚呼…この肌の感触、温かさ。幾年ぶりに味わった事か。
たった一度、たった一度だけの交わり。
それを忘れられず、今迄 生き恥を晒してきた私。
こうして又 彼の者の温もりに触れられるとは思ってもみなかった。
これは夢、幻なのだろうか? 本当に現実なのか?

恐れの無い力強い腕の動きが、今の時間を実感させる。
これは現実。幻では無い。だが、過去の…彼の者の腕では無い。
やはり彼の者は死んだのだ。私の目の前で、確かに。

幾年月を超え、彷徨い続け、漸く巡り逢った
この男を…蓮杖 朔耶を私は心から愛し、護ると誓ったのだ。
その為にこうして身を委ねたと云うのに…
私は未だに彼の者を…私の所為で死んでしまったあの男を、
たいらの 朔耶さくや】を忘れられないでいる。
未練がましく、浅ましく……。
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