無 念

9. 宿業(第壱幕)

「声をだに 聞かで別るる たまよりも なき床にねん 君ぞかなしき」

共に夜を明かしたあの日。十六夜がふとこんな歌を口にした。

「何だそれ?」
「和歌じゃ。誰が吟じたのかは知らぬが」
「どう云う意味?」
「其方の声さえ聞けずに死に別れる私の命よりも、
 これから私の居ない寝床で寝るであろう
 其方の方が本当は悲しい事なのだ」
「別れの歌か。でも何で急にそんな事を?」

この時、十六夜は答えなかった。只 あの悲しげな笑みを浮かべただけで。
十六夜は覚悟をしていたのだ。【別れ】を。

「くっ!!」

気付いてやれなかった。あの笑みの意味。
それは『いつか来る別れ』を痛感していたからこその表情だったと。

南区に入ってから、漸く寿星達と合流する事が出来た。
繊や神楽には寿星から巧く説明がついていたらしい。

「この先だ!!」

朔耶は真っ先に稲生神社の鳥居を潜り抜けた。
そして、その先に待っていたものは…。

* * * * * *

「…嘘、だろ?」

勝ち誇る様に右腕を突き出す六条親王。
その腕は確かに十六夜の左胸を貫通していた。
グッタリと項垂れたままの十六夜の表情を見る事は叶わない。
彼の右手に握られていた筈の【虎徹】の姿も無く
誰の目にも十六夜の敗北は明確だった。

「そんな……」
「嘘だよな、あの十六夜が……」
「……」

朔耶、寿星、繊もこの状況に言葉を失い 立ち尽くすしかなかった。
だが神楽は、六条親王の右手 握り拳が何かを掴んでいる事に気付く。

「もしや、あの男の狙いが【陰陽鏡】であれば…
 十六夜さんは心の蔵を貫かれてはいない。まだ、生きている…」
「本当か? 神楽!」
「恐らくは…ですが。しかし、いずれにしても時間は有りません。
 十六夜さんの体から【陰陽鏡】が離れてしまっている以上」
「【陰陽鏡】? 何だ、そりゃ?」
「今は説明している時間が有りません。
 端的に述べるなら『十六夜さんのもう一つの心臓』です。
 【陰陽鏡】の力に因って、十六夜さんは今迄 命を繋いでこれたのです」
「なら彼奴アイツからその【陰陽鏡】を取り戻せば十六夜は助かるんだな!」
「断言は出来ませんが…」
「上等だ!」

朔耶はそう叫ぶと【村雨】を召喚し、六条親王に突撃を掛ける。
朔耶達の存在を感知した六条親王は忌々しそうに舌打ちすると
十六夜の体をそのまま彼等の方へと放り投げた。
口から大量の血を吐き出したが、十六夜はまだ生きていた。
だが、苦しそうな息の下 必死に何かを言おうとしている。

「寿星! お前は神楽と共に十六夜を頼む!
 繊、来れるな! リョウマ、ハヤト、ムサシ! 行くぞ!!」
「弔い合戦のつもりか。殊勝な事よ」

使い魔達は朔耶の命に答え、果敢に攻め込んで行くが
繊は六条親王が放つ禍々しい気に呑まれ、体を動かす事すら叶わない。

「くそっ、動け! 動けよ、何 止まってんだよ…!」
「それが正しき反応よ。虫けらに神を倒す事等不可能」
「…黙れっ!!」

朔耶よりかなり遅れたものの、それでも繊は己の恐怖心を抑え込み
彼等と同じくして六条親王へと斬り掛かった。
奮闘する朔耶達を軽くあしらいながら高笑いする六条親王。

「…げろ」
「十六夜?」
「十六夜さん? お気を確かに!」
「逃げろ…。逃げ、るんだ……っ!」

十六夜は傷付き、息をするのも絶え絶えになりながらも
ひたすら『逃げろ』と叫び続けていた。
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