No. 021:今日と明日との狭間

散文 100のお題

男は自身の名前も思い出せないと言った。
自分が誰であるかを解らないのは
さぞかし不安に違いない。
そう言って十六夜が与えた名前。

永夏えいか!」

望央にそう呼ばれ、男は笑顔で振り返った。

「境内の掃除はもう大丈夫よ」
「そうか? もう少し念入りに…」
「したいのは山々なんだけど
 そろそろ参拝客が来る頃だから
 社務所に待機しておかないと」
「あぁ。確かに」
「永夏が来てくれてから
 仕事が凄く楽になったわ。
 何せ人手が要るもんだから…」
「あれ? 弦耶は此処で働いてないの?」
「彼は彼で仕事を持ってるのよ。
 将来的には判らないけど…」
「将来、ねぇ~」

永夏は望央と弦耶の関係を
十六夜から色々と教えてもらった。
幼馴染である事。
そして、今は許婚である事。
事情があり、まだ結婚には至らない事。

「早く一緒になれると良いのにな」

永夏の一言に
望央は顔を真っ赤にして俯いた。

「? 望央?」
「う…うん……」

(照れてんの? 初心うぶだな)

初対面での勇ましさは何処へやら。
こうして見ると、望央は実年齢よりも若干幼さが残る。
弦耶が過保護になるのも解る気がする。

二人はそのまま何かを話しながら
仲良く社務所へと向かって行く。
その後姿を、何者かが静かに見つめていた。

* * * * * *

「何か感じるか?」

人影に声を掛けたのは十六夜だった。
声を掛けられた人物は
木陰からゆっくりと姿を現す。
朔耶だった。

「怪しい気配はまるで感じねぇな」
「成程」
「全くってのがミソだと思うけど」
「演技だとすれば
 末恐ろしい才能の持ち主と云う事になる」
「あぁ。
 自分の名前さえも思い出せないってのが
 正直、俺には引っ掛かってる」
「ほぅ……」
「まるで、お前の時と同じじゃねぇか」
「…私もそう思った」

一度その生命を落としたとされた十六夜は
復活した際に自身の過去の記憶を失っていた。
当時、朔耶から名前を与えられ
全てを思い出す迄 彼の加護下で
追っ手に怯えながらも懸命に生きていた。

十六夜のエピソードを何処かで聞いて
それを再現したのだろうか。
だとすれば、教えたのは【誰】か。

「鳴神とは、依然連絡が取れない」

不意に、朔耶がそう呟いた。

「俺や寿星にはともかく
 師匠でさえも、だ。
 彼奴アイツの性格上、考えられん」
「そうか…」

十六夜は静かに目を伏せる。

「【村正】の所有者の行方も
 未だに見付け出せておらぬ。
 得体の知れぬ敵が動き出す前に
 何としても抑えておかねば」

冷静沈着な自分の相棒に
朔耶は安堵し、力強く頷いた。

「任せろ。このままでは終わらせねぇ。
 十六夜は彼奴を、永夏を見張っててくれ。
 奴がおかしい行動を取った時は…」
「無論、お主や乾月にすぐさま伝えよう」
「頼むぜ。もう俺達も若くないんだから
 一人で勝手に突っ走るなよ」
「…お主じゃあるまいに」
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お題提供:泪品切。(管理人名:yue様)