丈はセルファーの中に居た。
深い、深い眠りの中。
微かにだが声が聞こえてくる。
『誰…だ?』
脳裏に響く子供の声。
そして、優しげな男の声。
『…ないな。お前を…』
途切れ途切れの声が聞こえてくる。
『希望…』
頬を幻の手が触れる。
優しげな声と同じ、
暖かな温もり。
少しずつ意識が薄れていく。
そしてまた、
体が海に沈んでいく様な感覚に襲われた。
水と一体化する感覚。
『孵って…いく?』
羊水に浸る胎児の様に
自分は何かに包まれて居る。
『疾風…さん……』
微かな声で、彼はそう呼んだ。
その言葉は丈と言うよりも
丈の中に居るもう一人の声だった。
この世界とは別の音。
その声で、彼は疾風を呼んでいた。
『疾風…ハヤ、テ……』
彼の言葉は届かない。
そしてまた一層
意識は奥へと堕ちて行った。
「意識レベルがだいぶ落ちてるね…」
漣が心配そうにモニターを見つめる。
丈の様子を看る為、
彼は一睡もしていない。
あれから3日が過ぎていた。
「殆ど意識が無い状態だよ」
「…回復するのか?」
「う~ん、何とも言えないね。
彼は僕達と脳の働き容量も違うし」
「どう違う?」
「僕達はほぼ100%使う事が出来るけど
丈は精々40%が上限だ」
「40%?」
「通常の人間で凡そ30%。
僅かに上回っているだけだ。
亜種の血が流れているとは言え
この容量は極端に少な過ぎる」
「容量が少ないとどうなる?」
「まず【呪】は使用出来ないね。
【呪】の行使には最低でも
70%の要領を必要とする。
後は自己再生能力にも影響が出る。
アレは50%以上から発動するし…」
「…丈」
ハヤテは心配そうに
セルファー内の丈を見つめる。
「彼、脳に欠陥が有るみたいだ」
「脳に?」
「うん。…ノイズが走ってる」
「ノイズ…」
「だから幻聴が聞こえたりするんじゃないかな」
漣は音楽と云う概念を知らない。
「歌が聞こえる」と言った丈の言葉は
彼にとって【脳の欠陥】と捉えられたらしい。
「…治せよ、絶対」
「疾風…」
「俺はまだアイツに何もしてやれてない。
【また】失うのだけは御免だ」
「全力を尽くすよ」
「頼むぜ、ドクター」
見守る事しか出来ない自分が歯痒い。
それでも疾風はじっと見つめていた。
深い眠りに付く丈を。
海の様な景色に見えるが
空を浮いてる感じもする。
『此処は…?』
彼の体は浮いていた。
正しく言えば【飛んで】いた。
自身に備わった大きな4枚の羽根が
風を受け止め、流し、
彼を大空に羽ばたかせている。
『飛んで…るのか? 俺…』
真下に広がるのは見渡す限りの草原。
『この場所…』
記憶に残る場所である。
知らない筈なのに、記憶に残る。
『綺麗な草原…。
こんな場所がまだ有ったんだ』
彼は羽根を羽ばたかせ、
更に上空を目指した。
太陽目指して。
そして…眩い光に包まれる。
全てが真っ白になって
ゆっくりと消えていった。