Fork

不意にカタンと窓が開いた。
風がきつくなってきたのだろう。

鼻腔を擽るシチューの香りを堪能しながら
俺は再び意識を過去へと遡らせた。

* * * * * *

それは…突然訪れた。

亮を引き取りたいと名乗る人物が
態々この孤児院を訪ねて来たのだ。

俺と亮はコッソリと院長室に忍び込み
大人達の話を盗み聞こうと試みた。
尋ねた所で誰も真相を語りはしないだろう。
ならば、自分の耳で確かめるしかない。

父親に成りたいと名乗り出たその人物は
現在、警察組織の一員として
地域の治安の為に働いているらしい。
結婚はしているものの、二人の間に子供は授かれず
妻にはとても寂しい思いをさせてしまっている、と告白した。

どうして亮なのか、と院長が問い掛ける。
すると彼は
偶然この孤児院の前を通った時に亮の姿を見付け
それ以来、ずっと気に留めていたのだと答えた。

「勿論、彼一人では不安でしょうし…。
 妻は彼と一緒に居たもう一人の少年の方を
 いたく気に入っているみたいでして」
「つまり…2人を同時に引き取りたい、と…?」
「はい」

亮は流石に驚いたらしく、
そのままの表情を浮かべながら
黙って俺を見つめてくる。

こいつと…兄弟になる。
新しい家庭で、文字通りの兄弟に。
成程、つまりはそう云う事か。

俺にとっても悪く無い条件だった。
亮は少なくとも俺にとっては大事な存在だし
コイツと共に新しい世界に旅立つもの良い。

俺は悩んでいた。
悩む要素など何も無い筈なのに
何故か素直に従う事を拒絶していた。
安穏とした生活に憧れていた筈。
なのに、目の前に迫ったその現実を
頭の何処かで激しく拒絶している。

解らない。
こんな事は初めてだった。

「海……」

怯えた様な亮の声に
俺の意識は現実へと引き戻された。

そうだ、亮。
俺が傍に居る限り、コイツは一生このままだ。
自分で何をする事も無く、
いつも俺の指示に従うのみ。

本当にそれで良いのか?
それが本当に亮の、そして俺の為になるのか?

* * * * * *

隙間風が頬を何度と無く叩いてくる。
意識が現在に引き戻された。

「冬は嫌いなんだよ」

誰に聞かせる事無くごちる。

手持ち無沙汰になったので
上体を起こして、ベッドサイドの煙草を取り寄せる。
慣れた手つきで火を点け、静かに紫煙を燻らせた。

「あの時…」

あの時、俺がもっと自分勝手な奴だったら。
俺が現実の辛さから逃避し
暖かなその手を取る事が出来たなら。

それが出来れば、どんなに良かっただろうか。

人並みの幸せに浸り、何も知らずに死んでいけた筈。
無知ほど強い者は無い。
知らずに終われる事の幸せを、
少なくとも俺は知っている。

「……」

俺の視線は静かに紫煙を追った。
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