Scene・5

File・3

甲亥が宿に着いたのは
日付が変わって直ぐの事だった。
温泉にゆっくり浸かり
水仙は既に就寝している。

「遅かったじゃない」
「済まん、迷った…」
「又なの?」
「だから済まんって…」

予定を組んではいなかったが
流石にバツが悪いらしく
甲亥は盛んに額を掻いている。

「で、巳璃」
「ん?」
「どっちが本職と喧嘩したって?」
「普段は引っ込み思案な方」
「成程、じゃあ…今、起きてもらおか」
「このドスケベ!!」
「…何で俺が起こすんじゃ」

甲亥は遠慮無く急須から茶を注ぎ
自分の咽喉を潤しながら
呆れた口調で言葉を続けた。

「俺にはロリコンの趣味なんぞ無いんじゃ。
 余り恐ろしい事抜かすなよ…」

ロリコンに何やら嫌な思い出でも有るらしい。
茶菓子をポイッと口に放り込むと
そのままボソボソと何かを呟き出した。

「何か、居るの?」
「憑いて来た」
「憑けて来るんじゃないよ…」
「だから、今追い出す」

目を閉じて更に何かをブツブツと唱える。
すると、巳璃の感覚でも判る位
空気が爽やかに変化した。

「ヤクザの跡継ぎが…ねぇ」
「俺は坊さんに成りたかったんやけどな」
「よく言ってるわよね、それ。
 で、何でなの?
 理由を聞いた事が無かったから…」
「ん? 下らん理由や」

甲亥は何やら恥ずかしそうに笑っている。
そんな仕草を見ると、逆に知りたくなるもの。

「教えてよ」
「笑うなよ」
「うん」
「…酒が鱈腹呑めるから」
「……」

流石に巳璃が笑いはしなかった。
寧ろ、白けた空気が二人の間に漂っている。

「ヤクザ家業に専念しな、甲亥」

捨て台詞を吐きながら
巳璃は静かに寝床へと向かう。
その後姿を甲亥は首を傾げながら見送った。

* * * * * *

「ん、携帯が鳴ってる…」

不意にマナーモードにしてある携帯が
ブルブルと震え始めた。

「一寸出てくる」
「此処で受けても良いんだよ、璃虎」
「いや…外で受けるよ」
「はいはい。言い出したら聞かない奴だな」

未津流は律儀な璃虎に対し
少し苦笑を浮かべている。
慌てて部屋の外に向かい、着信する。

『あ、璃虎?』
「竜彦…どうした?
 急患が入ったのか?」
『いや、今シューちゃんの所』
「…なんだ、驚いた」

竜彦からの連絡である事は判っていたので
その内容に少しドキッとした。
医者同士、急患が入れば直ぐに連絡は寄越す。
それが当たり前だからこそ
直ぐにでも戻らなければ、と思っていたのだ。

『シューちゃん、相変わらずだな。
 何であんなに俺にビビってんの?』
「又苛めてたんだ…」
『うん』
「学生の頃からシュウを苛めてたもんな」
『その度にお前がシューちゃんを庇うからさ。
 又苛めちゃうんだよ、これが』
「何で?」
『今思えば嫉妬してたんだよ、俺』

そしてその腹癒せを璃虎が受けているのだが。
彼が鷲汰を庇うのは情等ではなく
自分に火の粉が降りかかるのを避ける為である。

尤も、竜彦の発言からも解る様に
それは『全くの無駄』な行為なのだが。

「程々にな、竜彦」
璃虎はそう言うに留めた。
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