ロッソが厨房に姿を見せる。
「あれ?」
居る筈の姿が見当たらない。
「志穂は?」
「ちょっと出掛けてくるって」
「出掛ける?」
「そうよ。志穂ちゃんから何も聞いてない?」
「…あぁ。出掛ける話なんてしてなかった」
ロッソの表情が一気に険しくなる。
「心配なら、後を追い掛けると良いわ。
今から1時間程前に出掛けたから」
「妙子……」
「昔から変わらないわね、そう云う所」
「?」
「顔に出てる」
「…マジか」
「えぇ。安心したわ」
妙子の笑みも又、昔を彷彿とさせる。
高校時代に戻ったかの様な錯覚。
「一寸出掛けてくるわ」
必要な物をポケットに突っ込むと
ロッソはそのまま一陣の風の様に出て行った。
誰かに呼ばれた様な気がした。
だから、その声が聴こえる方へと歩を進めた。
大通りは人々の【心の声】が響いて苦手だった。
その雑音を遮断する為、
彼女は一人で外出する時に
大きめの白いヘッドフォンを着けていた。
人ごみの中、彼女はその姿を見付けた。
「水間……」
水間は表情を変える事無く
真っ直ぐ此方へと向かって来ている。
ベルデもそのまま立ち止まり
真正面から黙って彼を見つめている。
「会いたかったよ」
「あら? 私は別に会いたくなかったわ」
「つれない事を言うんだな」
「貴方は本当の心を隠しているから」
「君にだけは正直に接しているつもりだが」
「そうなんだ」
ベルデは周囲の音を確認した。
どうやら水間の後を追い掛けている者は居ない。
盗聴器や録音機材の気配も無い。
「只 話がしたかっただけだ。
二人きりでな」
その声が、いつもと随分違った。
何処か弱々しい、元気の無い声。
迷いのある声だった。
「じゃあ、歩きながら話しましょう。
その方が警戒されなくて済むわ」
「感謝する」
やがて歩行者信号が青を点灯すると
二人は新たな人ごみの中へと消えて行った。
「どれだけ貴方が事実を知っているのか判らないけど」
話を切り出したのはベルデの方だった。
「高須賀 研斗さんの転落事故。
あれ、調べ直したんだけど…
事故じゃないわよね?」
「何故そう思った?」
「ザイルの切り口の画像を見たの。
あのザイルの切断部分は自然に切れた物じゃない。
誰かが意図的に切り口を入れたか、それとも…」
ベルデは真っ直ぐに水間は見つめた。
「作業員に化けた何者かが、鋭い刃物で切った」
「……」
「もしザイルが意図的に切断したものであるなら
これは転落事故なんかじゃない。
明らかな殺人事件」
「…そうだな」
「認めるの?」
「もう時効だろう」
「果たしてそうかしら?」
思わず水間が溜息を吐く。
阿佐には見せた事の無い、随分と弱気な姿勢。
そんな彼の姿を、ベルデは15歳とは思えない程
冷静な視線で見つめていた。