事件ファイル No.5-6

鷹矢 晋司 暴行殺人事件・前編

「子供産みたいって…。
 産んでからどうするつもりだよ?」

馬乗りになった相手を冷静に眺めながら
鷹矢は呆れた口調でそう言った。
互いに、30代中頃に差し掛かっていた。

「私が育てる」
「一人でか?」
「えぇ」
「働きながら?」
「えぇ」
「無茶だろ、それ」

妙子の覚悟を、彼はサラッと流してしまう。

「お前なぁ…。
 女が働きながら子育てするって
 どれだけ大変な事か解って言ってんのか?」
「勿論、解った上でよ」
「俺との子供って判ったら
 お前の両親、絶対に手を貸さねぇだろうが」
「元々借りる気なんて微塵も無いわよ。
 抱っこだってさせてやらないんだから」
「それに…実際は父親が生きてるのに
 子供にはどうやって父親不在を説明する気だ?」
「その辺は、大きくなってからでも…」
「両親が揃って無い事は幼い頃でも気付くんだよ。
 自分がどうやって生まれて来たのか。
 親には愛されていたのか。
 そんな事を考えて、悩んで、苦しむんだ」
「…晋」
「俺は自分の子供にそんな思いさせたくねぇな」
「じゃあどうしろって言うのよっ!!」

そのままの状態から鷹矢は平手打ちを食らった。
妙子からの平手打ちは日常茶飯事だが
その度に心の中で理不尽を感じている。

「『晋と一緒になりたい』ってどれだけ望んでも
 ちっとも私を見てくれないじゃない!
 こうでもしないと、
 晋を掴まえられないじゃないっ!!」
「だからって子供の存在を利用すんな。
 卑怯だぞ、そう云うの」

再度、妙子の平手打ちが飛んできたが
今度は鷹矢が彼女の手首を掴んでそれを抑えた。

「アンタの方が現実から逃げてるじゃない!」
「…何だと?」
「あれからもう何年経ってると思ってんの?
 的場さんの事、忘れられないのは無理も無いけど
 アンタ自身の人生はどうするつもりなの?
 小母おばさんがどれだけアンタを心配してるか
 全然解ってないじゃないっ!!」

感情のまま吐き出してから
妙子は『しまった』と口を押えた。
案の定、鷹矢はその態勢のまま
真っ直ぐに妙子を睨み付けている。

「結婚なんて簡単だよ」
「晋…?」
「明日、役所に行って紙貰って来る。
 証人2人だっけ。それも俺が用意する」
「……」
「俺の種が欲しいってんなら好きにしろよ。
 別に抵抗もしねぇ」
「晋…。私は……」
「これで問題無ぇんだろ?」
「晋……」
「…疲れた。もう、こう云うの……。
 後は勝手に、好きな様にしてくれ」

無表情の筈の彼の目から涙が流れ落ちている。
今、彼は何を思って涙を流しているのか。
妙子にはそれが解らなかった。
彼に問い掛けようとしても
恐らくは答えてくれないだろう。

何時いつから……』

何時いつから彼はこうなってしまったのか。
自分と一緒になってくれれば
心の傷が癒せると信じていた。
だが…彼は傷を癒す事ですら拒絶する。
傷付いたまま、彼は彼の道を歩く事を
宿命づけてしまっている。

『晋……』

いつかは気付いてくれるだろうか。
結婚し、子供が出来れば
彼は解放されるのだろうか。
妙子はそれを信じるしかなかった。
誰よりも、鷹矢の幸せの為に。
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