WHEEL OF FORTUNE

3

市井 要と名乗る青年は改めて保達の方を振り返った。

「悪いんだけど、秋奈と二人きりで話せないかな?」

あまりにも唐突な申し出だった。
当の秋奈の方が困惑している位だ。
暫くの間、誰もその申し出に返事が出来なかった。

「…随分、急な御意見だな」

漸く出せたのが薫のこの一言のみ。

「うん…」

保もどう言って良いのか判らず、曖昧な相槌を打った。

「二人きりで話す意味が何処にあるんだい?」

隆志に至っては「その行為」自体に
嫌悪感を示している様子だ。
そして…何も語ろうとしない生。

秋奈は哀しかった。
一言、言って欲しかったのだ。
「行く必要は無い」と言う言葉を
生の口から。

だが、彼は何も言わない。
暗い表情を浮かべたまま、顔を背けている。

「話…だけなら」

口から漏れた言葉に、自分自身が一番驚いた。

心にも無かったはずの言葉。
その一言が「彼」を傷付けると判っていながら…。

「青樹君…」

隆志は思わず声を出していた。
半分は理解出来た。
彼女の性格から云えば、当然の行動だろう。
だが…何処かで彼女に期待していた。
断ってくれる、と…。

「話だけ、ですから…」

彼女の笑みは…泣き出しそうな感じだった。
心に逆らった行動が、どれだけ苦痛なのか。
それを知っているからこそ、薫も口出しはしない。
敢えて生の表情を見る事も無く、
彼は煙草に火を付けた。

保は黙って視線を生に送った。
鍵は彼に有ると、保自身も判っている。
だが…止める権利は有るのだろうか。
秋奈と要の関係から見れば生は「第三者」でしかない。
生が何も言わないのも、
或いはその事を念頭に置いているからかも知れない。
例え彼女がこれを切っ掛けに
戦線離脱する事になったとしても…。

「…俺が願ってたのは……」

小さな声で彼は呟いた。

『こんな結末じゃない』

心の中で一人、そう続けた。

* * * * * *

うららのいる個室から出た篤志を待っていたのか
男は壁に凭れるようにして立っていた。

「…ご苦労様だったな」

男は笑みを浮かべている。

「いえ、貴方の方が…」

篤志は、恐らく無意識だろうが
男に対して笑みを浮かべた。

「ほぅ…」

男の感嘆に、意味が判らず彼は首を傾げる。

「なかなか良い表情をする。聖母の御陰、かな?」
「『うららさん』の御陰ですよ」

小さな抵抗だった。
うららは『聖母』呼ばわりされる事を嫌がっている。
その事を篤志は肌身に感じ取ったのだろう。

「そうか…」

男にしてみれば「嬉しい」反応だった。
自分の予想通り、寧ろそれ以上の結果だろう。

彼女には期待していたのだ。
やはりそれなりの「形」で返されると嬉しい物である。

「さて、これからが問題だな」

男は静かに体を壁から離した。

「上層部、いや…あの人物の狙いは判っているな」
「はい…」

途端に表情が重くなる。

無理もない。
うららの身がどうなるのか、
それを暗示するようなものなのだから。

「私はこれ以上、君に手を貸す事は出来ない」
「えっ…?」
「私も決着を付けなければならなくなったようだ。
 この組織の為でもない。…私自身の為でもない」
「どういう、意味ですか?」

「審判を下す」

短いが、重い言葉だった。

「審判…。じゃあ……」

それが何を意味するのかも篤志は承知していた。

「聖母、いや…嵯峨婦人は試練を乗り越えたようだ。
 ならばそのパートナーはどうだろうか。
 私は行く末を見守らなければならない義務がある」
「……」
「此処迄 組織の狙いと合致するとはな。
 我ながら笑いが止まらんよ…」
「御武運を、お祈り致します…」

せめてもの気持ちだった。
しかし男は静かに首を横に振った。

「その言葉は…迷い子達に向けてやってくれ」

男は篤志の左肩をポンポンと軽く叩いた。

* * * * * *

「あれで良かったのかい?」

意味深な発言。
それは生に向けて語られた物だった。
隆志の言葉に、生は応じる気配さえ見せない。

「…確かに青樹君は優しい子だ。
 戦うのが嫌いだというのは尤もな意見だろうし
 戦場から遠ざけたいと云う君の気持ちが判らない訳でもない」
「……」
「だが…それを決めるのは君じゃない。
 青樹君の未来は青樹君自身が決める事だ」
「頭では…判ってる」

生は聞き取れない位小さな声でやっと返事をした。

「…君には判っているんだろう?」

隆志の目が鋭くなる。

「…何を?」
「……」

隆志は敢えて言葉を使わなかった。

2人の会話は元々かなり声の音量を下げて行っている。
その険悪な雰囲気から、
保や薫は積極的に関わる姿勢を見せていない。
だが…隆志にはあの2人に聞かれたくない事情があった。

組織の事を知っている生とだけ、通じる話だからこそ。

「隆志さん…」
「僕は…これで良いとは思わない。
 彼は『市井 要』なのかも知れない。
 だが…あの日の『市井 要』だとは認めていない」
「……」
「彼女を、守ってやって欲しい」

初めて、隆志は口にした。
自分の本音を。

「君だけが青樹君を守れる。
 あの日のように、彼女を救ってやって欲しい」
「隆志さん…。俺は……」

生の心の中で、何かが音を立てて弾けた。

「行ってくる」

彼はそれだけを告げると、秋奈達の後を追って走り出した。
見送る隆志の表情は…穏やかだった。
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