WHEEL OF FORTUNE

4

「行ったのか?」

頃合いを見計らい、薫が声を掛けた。

「えぇ」
隆志も解っていたのだ。
微笑みを浮かべ、軽く礼をする。

「お気遣い、感謝します」
「…ふん」

態と悪態を吐く。
どうやら照れ臭かったのだろう。

「アイツの気持ちは…解らんでも無いんでな」
「?」
「同じ経験をしてりゃ、嫌でも気付くって事さ。
 まぁ…俺は生程苦い体験をしている訳じゃねぇが…」
「……」

隆志は返答を窮した。
薫がどんな体験をしたのか。
そんな事は調べれば判る。
確かに生と比べればまだ救いがあったのかも知れない。
だが、彼自身が受けた傷は…
常識からは計り知れないのだ。

「さて…」

薫はそう言うと、
遠くに置き去りにしていた保を呼び寄せる。

「もう良いぜ」
「…ちぇ。いきなり『子供は席外せ』だもんな」

口を尖らせ、文句を連発する。

「まぁそうごねるな。
 お前だって『ハッピーエンド』が良いだろうが」
「そりゃ…そうだけど…」
「気付いてたんですか?」

隆志の驚きに対し、薫は非常に冷静だった。

「伊達に長生きしてねぇよ」
「…そうですね」

隆志は薫の支援に感謝していた。
決して自分一人だけではない。
それに気付いただけでも、彼にとっては『救い』だった。

* * * * * *

秋奈はその後を無言でゆっくりと歩いていた。
長い、長い時間を感じた。
相手は何も言わず、ただ黙々と歩くのみ。
仲間との距離が少しずつ長くなる。

そんなに彼等と同じ場所に居たくはないのか。
それ程迄に彼女と二人だけで居たいのか。

行動の理由ですら、秋奈には伝わってこない。
臆病な自分がどんどん表われていく。
空気が重い。
彼等と居た時は感じなかった重さ。
息苦しくも感じてしまう。

拒絶…しているのかな?

あれだけ想っていた相手と逢えたというのに、
心は少しも嬉しくなかった。
引っ掛かっているのは…多分。

「此処迄来れば、良いか…」

要はボソッとそう呟き、振り返った。
勿論、呟きは秋奈の耳に届いていない。

「秋奈」
「な…何?」

突然呼び掛けられ、全身に電気が走るような感触を覚えた。

「君はずっと今迄戦っていたのかい?」

哀しそうな瞳で、彼は言った。

「え…?」
「ずっと、悪魔と戦っていたんだろう?」
「え…えぇ。でも…一人じゃなかったし…」
「そんな事は関係ないよ」

要は突然彼女の手を取り、強く握り締めた。

「俺は、君が戦場にいる事自体が耐えられないんだ」
「……」
「怖くないか? いや、それ以上に、嫌じゃないのか?
 この手が、その身体が…悪魔の返り血に染まる事が…」
「そ、それは…」
「嫌なんだろう? それなのに…無理矢理
 彼等と同行させられてるだけなんだろう?」
「む…無理矢理なんかじゃ……」

否定をしようというのに、上手く言葉が続かない。

多分、半分は当たっている。
無理矢理とは言わない迄も、巻き込まれたのは事実だ。
それでも、「嫌だ」と思った事はない。
戦うのは、悪魔と云えども傷付ける事は確かに辛い。
しかし…「彼等と共に居る」事は決して苦痛ではない。
寧ろ「安心」出来る環境だった。

「私は…」
「秋奈、俺と一緒に逃げよう」
「?!」

突然の告白に、またも秋奈は言葉を失った。

逃げる?
一体何処へ?
それ以前に…何故?

解らない事だらけだ。

「どうして…?」

漸く、それだけが言えた。

「君を戦場に居させたくないんだ。解るだろう?」
自分を心配して、と云う事か。

「で、でも私は大丈夫だし。
 それに…みんなが居てくれるから」
「アイツ等は信用出来ない」

握り締めた手に力が籠もる。

「い…痛っ!」

秋奈の悲鳴に、それでも力は緩む気配が無かった。

少なくても、これが生ならば…

無意識に彼の事を思い出してしまう。

「君の為なんだよ、秋奈」

要の目は真っ直ぐ彼女を見つめている。
その視線を反らしたかった。

気付いてしまった。
自分の本当の気持ちを。

「私は…」

秋奈は目を閉じ、ジッと思い巡らせた。
自分の中に居る自分に問い掛けた。

ソレデ、良イノヨ…

声は、確かにそう聞こえた。

* * * * * *

一方、ブラウンは晴れない空を黙って見上げていた。
右手には忍ばせていた愛用の槍。
その先に悪魔の血糊がこびり付いている。

「…最低」

吐き捨てるように、それだけ言った。

無理もないのかも知れない。
何の力も無い人間が悪魔と退治など出来ないだろう。
だが、彼の怒りは其処に向けられた物ではない。

「はぁ…」

先程まで、さんざん見てきた。
非力な子供や年寄りを押しのけ、
『我先に』逃げ出す男や女。
子供の泣き声に癇癪を立て、蹴り上げる輩まで居た。

「これで…良かったのかよ?」

戦いの後に残るのは虚しさ。
それは、8年前の出来事で解っていた事だった。
しかし学生だったあの時よりも
虚しさは濃く彼の心を包む。

全てを否定したくもなってきた。

だが、そんな自分自身の心にこそ嫌気が差したのか
彼は思い切り首を横に振った。

「駄目だな。一人になると直ぐに弱気になっちまう」

器用に頭上で槍を振り回す。
槍に付いた血糊が勢いに乗って周囲に飛ぶ。
何滴かが自分の顔に付いた。
だが、それを拭おうとはせず…。

「何やってんだろうな…」

心に暗雲が広がっていく。
倒していった悪魔の絶叫が、断末魔の叫びが耳に残る。
自分が戦うのは『正義』の為。
そう信じていたから武器を振るい、ペルソナを行使した。
しかし…。

「俺が、間違ってるのか?」

街の人々の姿が決意を鈍らせる。
悔しさからか、彼は唇を固く噛んだ。
口の中に、血の味が広がった。

* * * * * *

秋奈の脳裏に浮かんだのは仲間達の笑顔だった。
保、隆志、薫。そして…自分が名前を付けた青年。
誰よりも自分の事を気に掛けてくれた彼。

「私は…」

秋奈は目を見開き、真っ直ぐに要を見つめた。
その視線から迷いは消えていた。
彼の存在が、力を与えてくれる。

「私は…皆と一緒に戦う」
「秋奈?」

要は「理解出来ない」と云う表情を浮かべている。

「市井さん」

彼女は要を『名字』で呼んだ。
それが何を意味するのか、十分に理解した上で。

「私、貴方と共には行けません。御免なさい…」

これが秋奈に出来る精一杯の返答であった。

「一緒には行けない」

それが全てであった。
嘗ての想いを否定する訳ではない。
しかし、彼女の視線は「今」を見つめていた。

今、自分に何が出来るのか。
何がしたいのか。

断片的だが、その形が見えてきたのだ。
他ならぬ仲間達の存在が、その助けとなった。
だからこそ、自分自身を信じてみたくなったのだ。
自分の中に秘められた『可能性』を。

「どうしても、かい?」

要は彼女の言い分を納得していなかった。
口調が、表情が、それを証明している。

「俺は君の為を思って言っているのに…」

それが解らない訳ではない。
だからこそ彼女は苦しみ、
漸く返事をする事が出来たのだ。
だが、それすらも要は認めない。
秋奈の心の中にある「要の姿」との違いが
浮き彫りになるにつれ、
彼女は益々不安になっていった。

「君は…」

要は顔を俯け、曇るような声で言った。

「君は、忘れてしまったのか? あの日の約束を」

一番恐れていた言葉だった。

秋奈の顔から血の気が引いていく。
勿論忘れた訳ではない。
彼女もまた、その『約束』を胸に生きてきたのだ。
だが、あの時の彼とは明らかに違うその雰囲気が
彼女を恐怖へ追いやる。

「俺は片時も忘れた事はない。だが…君は……」

要の瞳は刃物のような鋭い視線に変わっていた。

蛇に睨まれた蛙。

今の秋奈は、正にそんな心境だった。
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