WHEEL OF FORTUNE

5

譲れない者が一つだけ在る。
それが今迄 自分を生かしてきた。

彼女を守りたい。

ただ、それだけが。
あの日の思い出が、自分を支えてきた。

髪を風に靡かせ、生は真っ直ぐ向かっていた。
自分が守るべき存在の元に。

* * * * * *

要の視線が秋奈を硬直させていた。
実際、視線が…ではない。
秋奈自身の『良心』が
彼女自身の自由を奪っていたのだ。

「許さない…」

低く、小さく。
唸るような声だった。

「俺は…許さない」

その対象が何か位、彼女にだって解っている。

「……」

秋奈が気付いた時、彼は右手に何かを握り締めていた。
氷柱のように透き通った物。
それが『刃』で有る事に気付いたのは更に遅れてだった。
要は何も語らない。
だが、右手にははっきりと憎悪の形が表われていた。
力の限り握り締められた柄。

─ 無理も…ないわよね。

秋奈はゆっくりと瞳を閉じた。
自分だって、こんな所で諦めたくはない。
だが…こうでもしない限り、
彼の怒りは収まらないだろう。
裏切ったのは自分自身なのだから。

─ 生…。

彼にきちんと伝えておけば良かった。
今更ながら、そんな後悔の念が浮かんだ。
彼の見せる笑顔に惹かれていた。
もう会う事もないのかと思うと、
哀しみだけが胸に広がる。
己の命の炎が消えゆく恐怖さえも覆い隠す位に。

自分が名付けた「生きる」名前を持つ青年。
今更ながらに秋奈は
生に「生かされていた」事を痛感していた。

* * * * * *

「さよなら。秋奈」

氷のような声がする。
いよいよか。
彼女は一層目を固く閉じた。
憎悪に駆られた嘗ての思い人の顔だけは見たくなかった。
覚悟を決めた彼女めがけ、刃が唸る。

一瞬の空白。

不思議と、痛みも何も感じなかった。
不意に気配がした。
前方に誰かが居る。
恐る恐る彼女は両目を開いた。

「生…?」

居る筈のない彼が其処に立っていた。
両手を広げ、彼女を庇う様に。

「…無事か?」

要を睨み付けたまま、生は声を掛けてきた。

「うん。私は大丈……」

言いかけて、彼女はハッと気付いた。

彼の足下に広がる血溜り。
あの一撃を、彼は自身を盾にして防いだのだ。

生は構えを解かない。
真っ直ぐ、要を睨み付けている。

「市井 要の記憶を利用して、満足か?」

生の問い掛けに、要はハッキリと嫌悪感を示した。

「生。とにかく、傷の手当てを…」

そう言って彼の前に立った秋奈は、
初めて包帯の下に隠された彼の肌を見た。
そしてハッとした。
斑模様の胸の位置に、見覚えのある痣を見付けたのだ。

「これ…」

忘れる訳がない。
あの日、あの時。
自分の為に必死になってくれた恩人。
彼の胸にも同じ痣があった。
そして…あの時の少年は……。

「貴方が……」

生は黙って頷いていた。
厚いテーピングの御陰とは云え、
彼の傷口は左肩から脇腹まで達していた。
出血の状態も激しい。
生きて、こうして立っているのが不思議な位だった。

生自身、かなり興奮状態になっていた。
出血のショックもあるかも知れない。
だが、それ以上に怒りが彼を熱くしていた。

許せなかった。

彼女を騙し、苦しめた目の前の存在が。
下らない思いに振り回され、
守り切れなかった自分自身が。

あの日、約束を交わしたのは
決意があったからこそだった。
自分を認めてくれた小さな存在。
彼女の御陰で、此処まで来れたのだから…。

想いが自身の中で沸々と煮えたぎっているのが解る。
まるでマグマだ。

「出来損ないの救世主か…」

口中に生臭さが広がっていく。
血液が逆流でも起こしているのだろうか。
全身が熱く燃えさかる。
「出来損ない」発言に激昂したのか、
要の表情が鬼のように醜く変わる。

「救…世主?」
「奴の正体はプロトタイプだ。
 さっきまで自信が無かったが、今ならはっきり判る」
「それじゃ…」

秋奈は改めて生を見つめた。

「じゃあ…あの人が要さんじゃなかったのね」
「いや…細胞レベルでは『市井 要』なんだろう。
 でなければ…記憶の植え付けに不具合が生じる筈だ」
「細胞…レベル……」

其処迄言われて漸く秋奈は理解出来た。

悲しい事実が、其処に存在した。
2人は「市井 要」を元に生み出されているのだろう。
そして…それを知っていたからこそ、
あの時生は何も言えなかったのだ。

「けど…そんな事は関係ねぇよ」

生の瞳から怒りの炎は消え去ろうとはしなかった。
なお一層燃え上がっている。

「ほう? しかしそんな傷でどうするつもりだ?
 立っているのがやっとなんだろう、THIRTEENTH?」

正体がばれたからか、彼は開き直っていた。
冷笑を浮かべ、剣を構える。
先程 生を傷付けた氷の刃だ。

「だから…何だってんだよ?」

生を突き動かしていたのは
『怒り』だけだったのかも知れない。

「立ってるのがやっと、だと?
 本当にそうなのか、試してみたらどうだ?」

生はそう言って笑って見せた。
挑発しているのだ。

左肩からは未だに血が流れている。
秋奈は咄嗟に魔法を唱えようとした…が
何故か生はそれを遮る。

「今はまだ必要ない」

そしてそのまま、彼は背中を向けた。
『手出しはするな』
確かに、背中はそう語っていた。
涙ながらに秋奈は頷くしかなかった。

* * * * * *

全身にマグマが広がっていくような錯覚を覚える。
これ程迄に感情が動いたのは、何時以来だろうか。

「守ると…誓ったんだ…」

痛みは既に麻痺していた。
当然、左腕は動かない。

それでも彼には「負ける」気がしなかった。

「……」

彼の心の中で、『何か』が囁いていた。

『直視出来ルカ? 自分自身ト?』

「…出来るさ」

彼は静かに両目を閉じた。
体を駆けめぐる『熱さ』は変わらない。

「今なら、直視出来る」
『ソウカ。ナラバ…何モ言ウマイ……』

湧き出てくる。
封じ込められていた物が。

『我ガ名ヲ呼ベ。我ハ汝ト共ニアリ…』

沸き上がる想い。
それがハッキリと見えた瞬間、彼は両目を見開いた。
ヤヌスッ!!
いつもの蒼い魔法陣ではなかった。
七色に輝く魔法陣と光の波が静かに彼の全身を包み込む。

以前隆志が見せた『チャージ』と同じ現象だった。

ホールド!!
魔法を弾く為、プロトタイプ要は力を発動させた。
瀕死の放った魔法など、容易く無効化出来る。
彼はきっとそう読んでいたのだろう。
『瀕死』の者が持つ力の『底知れなさ』を知る術もなく…。
生自身は既にホールドの存在など見えてもいなかった。
精神を統一し、力を充填させている。

一発勝負。

それは誰の目からも明らかだった。
そう、勿論秋奈にも。

「かなちゃんっ!!」

咄嗟に彼女は叫んでいた。
勿論偽者の要の為にではない。

誰よりも大切な、自分の想い人に対して。
その勝利を信じて。

彼女の声は届いただろうか。
一瞬、生の口元が綻んだ…様に見えた。

* * * * * *

「消え失せろ、失敗作っ!!」

憎悪と共にプロトタイプ要が突進してくる。
ホールドに守られている安心からか。
それとも生が反撃してこないと云う見解からか。
生は尚も精神を集中させていた。
掲げた右手に魔力が集う。

「終わりに…させてやるよ」

小さく、ボソッと呟く。
それが合図の様に、集約された魔力が弾けた。
至近距離からのジオンガだった。

「あ…!」

ホールドの壁が溶けていく。
完全に自分を守る筈の壁が、
ジオンガの熱には敵わなかったのか。

プロトタイプ要は反射的に生を見る。
生は…笑っていた。
その瞬間、彼は全てを悟った。
自分は負けたのだ、と。
ジオンガの熱は彼を溶かし切る迄収まる事はなかった…。
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