JUSTICE

1

暗闇に溶けて行く感覚がする…。
朦朧とした意識の中、生はゆっくりと瞳を開けた。

「…?」

見覚えのない空間。
以前スライドで見た『宇宙』に似ていた。

「何処だ…此処…?」
『此処は、意識と無意識の狭間』

聞き覚えのある声が耳に届いた。

「…!」

声の方に顔を向けようとするが、
何故か体は動かない。

『貴方はまだ、するべき事がある。
 …そうよね?』
「するべき…事……」

生はジッと瞳を閉じた。
目の前に浮かんだのは、誰よりも大切な女性。

「そうだ。秋奈…!」
『約束は守る為にある物。
 貴方自身の為に、戻りなさい…要君』

声は其処で途切れた。
そして、同時に大きなうねりが発生し
生の体はその中に飲み込まれていった。

* * * * * *

目覚めたのだろうか。
先程とは異なる風景。

「……」

微かに体をずらしてみる。
瞬時に全身を走った激痛が、彼に何かを伝えた。

「…生きてる、のか」

しみじみと、実感していた。
今…此処に自分が存在している事を。

「ん…」

暗闇の向こうで声が漏れた。
目を凝らすと、机に突っ伏したまま
眠っている秋奈の姿が確認出来た。

「……」
薄れゆく意識の中、確かに聞いた。
彼女の懸命な呼び掛けを。
そして…。

「……」

ゆっくりと瞳を閉じる。
今は只、この時間を確かめていたかった。

生きている実感を。

* * * * * *

「気が付いたかい?」

再度目が覚めた時、傍らには隆志が居た。

「…此処は?」
「嵯峨さんの自宅だ」
「…そうか」
「まだ、傷むかい?」
「…多少は。でも、…平気だ」
「無理はしない方が良い。
 怪我が完治している状態とは
 程遠いんだから」

隆志の目は誤魔化せない。
それを理解しているからか、生は素直に頷いた。
そして…自分の置かれている環境に気付く。

「これ…」

包帯の巻かれた上半身。
その真新しさ。
嘗て自分が施していたテーピングとは
明らかに違う、巻き方。

「止血も手当も、青樹君が一人で行ったんだよ」
「じゃあ……」

生の表情が見る見るうちに青ざめる。

「あぁ…そうだ」

隆志も、その理由を知っている。

「もう…隠す必要はないだろう」
「……」

彼女にだけは見せたくなかった。
斑模様になった肌。
異性混合している体。
自分が忌み嫌う、自分自身。

「…彼女がどう思ったのか、
 気になるのなら直接聞いてみれば良い」

隆志の声は静かだった。

「少なくとも、彼女は見掛けで
 人を判断するような子じゃない。
 それは…君が一番よく解っているのだろう?」
「……」

それを信じたい。
だが、もし期待が外れたら…?

不安の中に居る生の瞳が、何かを捉えた。
其処には食事の用意を持って秋奈が立っていた。

「目が…醒めたのね? お腹空いてない?」

その様子からは今迄と何も変わらない様にすら感じる。
隆志は小さく笑みを漏らし、部屋を後にした。

「…先生、気を利かせてくれたんだね」

頬を桜色に染め、恥ずかしそうに俯く。

「…秋奈」

やっとの思いで声を出した生の口元に
彼女はそっと指を添えた。

「何も…何も言わなくて良いよ」
「……」
「どんな姿でも…
 貴方は生でもあり、かなちゃんでもあるんだもん。
 私にとっては、それが全てだから…」

生は何も言わなかった。
いや、言えなかった。

声の代わりに、嗚咽が漏れる。
感情を押し殺し、顔をシーツに埋め
彼は只 嗚咽していた。
そんな彼の背中を、秋奈は優しく抱き締めていた。

* * * * * *

「…白河先生」

保は一人、テレビを前に胡座を組んでいた。

「もう、大丈夫だ」
「そっか…」

保は…年齢よりも幼げな顔を浮かべた。

「良かった…」

心からホッとしたのだろう。
隆志もそれに習いたかったのだが、現状が許さない。
飛び出していった薫の事も気に掛かる。

「…ふぅ」

『一寸行ってくる。
 …生と青樹の事は、済まないが頼む』

あの男は、それだけを告げて出て行った。
あれ程取り乱す様子から、何が起こったのは想像が付く。
うららに何かが起こったのだ、と。

「ん?」

玄関に何かの気配を感じたのか、保はゆっくりと体を起こす。

「…パオフゥ」

ドアの向こう側には窶れた面持ちの薫が立っていた。

弱々しい視線。
小刻みに震えた肩。

自分が知っている彼の面影は微塵も感じない。

「…れない」
「えっ?」
「スマル市に…戻れない……」

漸く、そう呟いた。
と同時に、壁に縋り崩れていく。

「戻れ…ない……?」

それが何を意味しているのか、
保には理解出来なかった。
只…尋常では無い薫の姿が強く心に影を落とす。
うららに何か起こった事は簡単に推察出来る。
だからこそ彼はスマル市へ向かい、
事実を確認しようとしたのだ。

だが…それすらも叶わない。

「何で……」

思わず保は唸っていた。
やるせなさと憤りが体中を駆け巡った。

「何で、こうなっちゃうんだよ……?」
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