JUSTICE

5

こんなに何かに対して怒りを覚えたのは…初めてだった。

保は全身がワナワナと震えるのを感じていた。
何に対して怒っているのかすら、
もう解らなかった。

「…せねぇ」

血の気が失せていく要の体を静かに床に横たわらせ、
その視線を真っ直ぐ神取に向けた。
力を込めて握られた拳が更に小刻みに震える。

神取は黙って保を見つめていた。
其処には笑みも哀れみの表情も無い。
完全な無表情。
保がどう動いてくるのか、
それだけを注意深く観察しているようだった。

タン。

保の足が地面を蹴る。
と同時に姿が瞬時に神取の目の前に移動していた。
プロトタイプ能力を駆使した要の動きを凌駕するスピード。
そして…。

バキッ。

利き腕から繰り出されたストレートが
そのまま神取の右頬にめり込んでいた。

「一瞬、保君が消えた…」

秋奈が辛うじて声を出すと、
薫も心底驚いたように頷いていた。

「……」

唇の端から流れる血を拭い、
神取は再び視線を保に合わせた。
息一つ乱していない。
怒りに燃えた視線は
やはり真っ直ぐ此方を睨み付けている。

「…危険だ」

神取は小さく呟いた。
それとほぼ同時に隆志も全く同じ言葉を呟いていた。

「危険?」

薫の問いに、隆志は頷きながら答える。

「えぇ…」
「どう、『危険』なんだ?」
「爆発的な破壊力とスピード。
 ペルソナ能力の助力なのかも知れませんが
 あれは彼、保君の持つ能力の一片なんでしょう。
 そして…それはプロトタイプ以上の物を発揮している」
「だから、何が…」

そう言いかけて、薫は改めて考えを巡らせた。

「…『鍵』か」
「そうです」

隆志は素直に同意した。

「自分自身でコントロール出来るのであれば問題はありません。
 ですが…彼が力を発揮した鍵は『怒りと云う感情』です。
 考え様に依ったら、これほど危険な起爆剤は無い」

要がプロトタイプ能力を発揮させる時も
『怒り』の増幅が切っ掛けになる。
能力使用後の疲労も考慮しなければいけないはずだが、
「怒りで我を忘れる」状態のまま戦闘に入る以上
其処迄の考えは脳裏にすら芽生えない。
ましてや、保の今の攻撃力は要を軽く凌駕している様に見えた。

プロトタイプ能力を持たない筈の保が、である。

要の能力の様に「時間制限」も無い。
己の生命力が尽きるか、もしくは怒りが収まる迄
破壊衝動が止まらない事だってあり得るのだ。

只 一発見ただけである。
だが、「只 一発」で見えてくる物もある。
隆志と神取が全く同じ視点でそれを見抜いている。
「あり得ない」話では済みそうにない。

保自身、視線と同様に全ての注意力が神取のみに注がれていた。
当然 意識的にではない。
仲間を傷付けられたと云う事実だけが
今の彼を突き動かしていた。

「だぁーーーーーっ!!」

更に声を張り上げ、保は一気に間を詰めた。
勝負を付ける為にである。

「保っ!」

不意に過ぎった不安が薫に声を上げさせる。
だが、その叫びは彼に届かない。
薫の目には映っていたのだ。
迎え撃つように体勢を変えた神取の姿が。
そして…。

…。
……。

予感は、的中した。

* * * * * *

神取は容赦なかった。
第二波が寸分違わず秋奈を狙う。
咄嗟に、彼女は身を竦めた。
気を失ったままの要を抱きかかえたままで。

「くっ!」

隆志は身を盾にするべく、その波に立ち塞がる。
彼自身、保や要のように頑丈でも敏捷でも無い。
どちらかと言えば「自分の為には他者を切り捨てる」様な人間だ。
その彼でさえも動いた。

守りたかったのだ。
教え子ではなく、大切な『妹』として。

神取の動きはそれすら計算に入っていた。
彼には『目的』がある。
その為に必要な人物だけを残したかった。
保の暴走は、その上でも好材料だった。
彼が居る限り、隆志は自己犠牲に繋がる行動を取らない。
彼等の性格を理解した上で、その上での攻撃だったのである。
勿論、それは残された二人に気付く訳ではないが。

「白河!」

一撃で完全に隆志は気を失っていた。
命に別状は無さそうだが、
直ぐに回復する様にも見えなかった。
秋奈は全身の震えを必死で抑えようとしていた。

静かに二人を見下ろし、ゆっくりと神取は口を開いた。

「漸く、これで話が出来る…」
「…話?」

怪訝そうな表情で薫が言い詰める。

「一体何の話があるって言うんだ?」
「…変わらんな、君は」

ゆとりが出来たのだろうか。
神取は口元に笑みを浮かべた。
薫にしてみれば「癪に障る」笑いだった。

「テメェ…。何が言いてぇんだ?」

怒りの矛先は簡単に神取の方へ向いていた。
本来、自分に向けられる分まで。

「芹沢 うらら嬢は私が預かっている」

淡々と、神取はそう切り返した。

「君が悪いんだよ」
「んだと?!」
「君が悪い。そう言ったんだ。聞こえなかったのか?」

言われなくても解る事を念押しされると余計に苛立つ。

「あの時、君達は平和と幸せをその手にした筈だ。
 ならば何故、その空間に身を委ねなかった?
 何故、今こうして戦場に立つ?」
「…!」
「何故、穏やかな世界を放棄してまで戦う?
 何故だ? 答えられるのか?」
「それは…」
「この世界の為?
 そんな決まり切った答えなど要らない。
 私は『君の考え』を聞きたいんだ」

答えられなかった。
何の為に、自分が此処に居るのか。
大切な者を残してまで、何故……?

「君は平和よりも戦いを選んだ。
 『安穏とした退屈な空間』に居る事に耐えられず
 混沌とした破戒の世界に身を置く事を選んだんだよ」
「俺は…」

『違う』と言いたかった。
愛する者を守る為にこの道を選んだのだと。
だが…言えなかった。

何処かでその言葉を肯定する自分が、確かに居た。

「これは『罰』なのだよ、嵯峨 薫」

冷酷な言葉が紡ぎ出される。
神取の表情は無機質な感じを受けた。
裁きを述べる口調は『神』を彷彿とさせる。

「君は、君を最も愛する存在でさえ守れなかった。
 その存在に甘える事だけで、それを当然と捉えていた。
 だから君は罰を受けるのだ」

神取の右手が眩しく輝く。
それを見た秋奈は、我を取り戻して叫んだ。

「パオフゥさんっ!」

薫は何の反応も示さなかった。
心に受けた衝撃が大き過ぎたのか。
その罰を甘んじて受けようとしている様にも見えた。

神取の掌が真っ直ぐに薫の左胸を付く。
光が何かを形成し、彼の身体に吸収される様に消えていった。

「…何?」

秋奈の疑問は直ぐに解消される事となる。
薫は声にならない絶叫を上げ、
苦しそうに左胸を押さえながら床にもんどり打ち始めたのだ。

「ペルソナ使いに相応しい『罰』だよ」

何も言えず、その様子を見守るだけの秋奈に
神取は優しくそう言った。

「此処で終わるも良し。先に進むも良し。
 迷い子よ、己の足下を見つめ直す時だ」

呆然とする秋奈にそれだけを言い残し、
神取は静かにその場を去って行った。
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