【棺】の前に佇む青年に男は声を掛けた。
「…目立った変化は、見られませんが」
「…そうか」
「…貴方は、判っているんですね」
青年は男の方に向きを変え、険しい表情で言った。
「判っていて、何故 行うんですか?」
「君と同じだよ」
「…僕は…」
「判っていてもどうしようもないのが現実だ。
狂った歯車を止めたくても、一人では止める力が無い。
出来るのは只、現状を見続ける事のみ。
それを責める事など、誰にも出来はしない」
「でも…僕は、僕は……」
「それでも責めてもらいたいという
君の心は、哀れなほどに美しいな。
…君の待つ者達はどうだろうか」
男が青年を優しく抱き寄せる。
暗闇の中、青年の嗚咽だけが響いた。
雲行きがますます怪しくなったきた。
夕立でもあるのだろうか?
港南区を巡回しながら、
周防 達哉はどんよりとした空を見上げていた。
「あの時見上げた空も、確かこんな感じだったな…」
【あの時】とは、
ニャルラトホテプの宣戦布告を受けた時の事だ。
滅びを待つだけの世界から、
唯一人の女性を守る為にやって来たもう一人の自分。
全てを終え、意識は自分の世界へと戻った。
そこで全てが解決した筈だった。
しかし。
「俺は再び思い出してしまった。
…俺だけじゃない。
舞耶姉も、栄吉も、リサも、そして…淳も」
リセットは無効化され、意識の存在する世界は消滅した。
この世界の生命の代わりに。
「奴は諦めていない。きっとこの世界を狙ってくる。
今度も、…今度は、守れるのか…?」
不安が胸を締め付ける。
もう二度と、誰も戦わせたくはないと云うのに…。
「どうした、こんな所で…?」
「周防警部補…」
声を掛けてきたのは実の兄であり、
上司でもある克哉だった。
「止せ。今は兄弟二人だけなんだから」
「…兄さん」
「そんな顔して思い詰めるな。
…一人で苦しまなくても良いんだぞ?」
克哉は弟が記憶を取り戻した事を
最初に気付いた人物である。
事或るごとに彼を心配しては、様子を見に来る。
尤も、克哉のブラザーコンプレックスは
職場で公認された事なのだが…。
「嵯峨にも協力して貰っているが、
少し気になる動きになってきた様だ」
「友津市の件か?」
「いずれ、スマル市にも影響が及ぶだろう。
これが奴の、
ニャルラトホテプの仕業かまでは判らないが」
達哉は下唇を噛んだ。
「今は嵯峨に任せるしかあるまい。
友津市を自由に動けるのは奴しか居ないからな。
残念だが、僕達は土地観がない…」
「でも単独行動じゃ危険だろ?」
「それがな、どうもペルソナ使いと共に
行動しているらしい」
「ペルソナ使い?
南条さんやゆきのさん達が?」
「…彼等じゃない」
「えっ!?」
「新たなペルソナ使いだ。奴が言うには…」
「どうして、新たに…?」
「全くだ。…理解に苦しむよ」
克哉は溜息を吐きながら、
胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
「…お前も吸うか?」