Dubhe・4

部屋と厩舎を行き来する生活は
それ程長くは楽しめなかった。

終了の切っ掛けは
或る兵士の体の不具合を治した事。
私は医者の道を志し、
その職務を果たしてきた。
傷付き、苦しむ人を横目に通り過ぎる事等
出来る筈も無いのだ。
治療を行うのは当然の行為である。
別に何かの見返りを求めている訳ではない。

しかし、部屋にやって来た
あの男の顔はまるで【鬼】であった。

「物凄い形相だな、リュウガよ」

私の言葉にリュウガは尚一層顔を強張らせた。

「兵に治療を施した様だが」
「あぁ。それがどうした?」
「余計な事をしてくれたものだ」
「余計な事? 何故?」
「この世界に、況してやこの館に
 大木は複数も要らぬ!」

成程…。
私の事が気に入らないと云う訳だな。
この分だと私に部屋から出るなと指示したのは
このリュウガの独断なのだろう。
私の存在がラオウの邪魔になる。
彼にはそう見えているのか。
確かに…そうかも知れない。

「トキよ。貴様が素直に
 拳王様の覇道に賛同さえしていれば…」
「私は自分に正直に生きているがな。
 間違っている者には否を通す。
 当然の事だろう」
「だから貴様は危険なのだよ。
 耳触りの良い綺麗な言葉で誤魔化しているが
 その実は欺瞞で満ち溢れている。
 拳王様の御心にも気付かず、勝手な事を」

リュウガには解るとでも言うのだろうか。
兄の、ラオウの気持ちが。
リュウガはまだ何か小言を言っている様子だったが
内容迄は私の耳に入って来なかった。
視線は再び、灰色の空へ。
青い空が、白い雲が、あの風が恋しくなった。

* * * * * *

トキをこの館に滞在させるのも
そろそろ限界になってきた。
部下の不協和音も
少しずつ表面化してきている。
リュウガが懸念していた通りに。

だが…まだ我の求めるものは
この手に掴めてはいない。
今のトキをこの乱世に解き放つには
多少の躊躇いが生じる。

無論、もしこの考え通りに事が運んだとて
あのトキが大人しく
我が軍門に下るとは思えない。
全てを敵に回しても
己の信念のままに闘い、死ぬ漢。
それが、トキと云う男だ。

「あの気の強さは…母者譲りかも知れん」

我が兄弟の中で、最も母者の影響を受けた。
昔は優しいが、とにかく泣き虫で
世話の焼ける頼りない存在であった。
だがそれ故に守ってやらねばと
兄者と硬い誓いを交わしてもいた。

トキが変わったのは…遥か昔。
我等兄弟から愛する弟を奪ったのは…。

「拳王様」

リュウガの声か。
一旦、この思考を閉ざそう。
此処に居るのは拳王。
この乱世を覇道で治めるべき者。

「どうした?」
「トキの処遇についてですが…」
「うむ」
「この館から、何処か別の場所に
 連れて行った方が良いのではないかと」
「別の場所?」
「はい。其処で監視を置き…」
「今度はその監視役が
 トキに心酔するかも知れんな」
「拳王様、それは…っ」
「無論、我が覇道を邪魔する者であれば
 それが例え弟であっても
 許される事では無い」
「はい…」

保護するだけでは恐らく駄目なのだろう。
あの男の持つ不思議な魅力。
骨抜きにされ、牙をもがれた輩は何人も出た。
トキは何もしていない。
只、其処に存在しているだけなのだ。

だからこそ、人は同時にトキを恐れる。

「トキをカサンドラへ送る」
「?!」
「あの場所ならば万人が近付く事も叶わぬ」
「た、確かにそうですが…」
「カサンドラで拘束する。
 異議は無いな、リュウガ」
「…御意」

カサンドラ。
例えるならこの世の地獄。
其処に収容された者は
二度と日の目を見る事が無いとされる。
その様な場所へ送れと命じるのだ。
リュウガの驚きも解らない訳ではない。

しかし、だからこそ
我が計画が成就出来るとも思えた。
あの場所であれば、と。

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SITE UP・2016.12.21 ©森本 樹



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