Merak・1

天井から落下する水滴の音だけが響く。
こうして座禅を組み、目を閉じていると
様々な事が脳裏を過ぎっては消えていく。

もう、どれ位の日々が過ぎたのだろうか?

此処に入れられてからは、ずっとこの姿勢で
誰も来ない空間に只 存在するだけ。

不意に届く、耳慣れない音。
誰かが近付いて来ている。
こんな場所に、一体…誰が?

* * * * * *

「こんな事だろうと思った」

人払いを済ませ、ゆっくりと開かれる牢の扉。
暗闇の中、姿を見せたのは
思いもよらぬ人物だった。
座禅を組んだ姿勢のまま、
トキはその人物を凝視する。

「まだ生きておったか、トキよ」
「ラオウか…」
「水も食事も与えられずに10日以上も
 よく生きておったものだ。
 流石は我が弟と言った所か」
「…自らの秘孔を突いて仮死状態にすれば
 多少の渇きも飢えも耐えられる…」
「成程…。
 しかし、今の体では
 仮死状態にしたところで
 大した救済策にはなるまい」

だからこそ、今此処にこの男が居るのだろう。
情けを捨てたと公言する男が
情け深い、優しい男であると云うのは
何と言う皮肉なのだろうか。

「食え」

ラオウがその手に持つのはレーションである。
その中身は重湯に似通っていた。
絶食状態である今のトキの体には最適な食料。
米が手に入り難いこの時代に於いて
とても貴重な食料であるに違いない。

「食わねば生きられぬ。闘えぬ。
 先ずは食え。全てはそれからの事」
「…済まない、ラオウ」
「ふん。大した事では無いわ」

悪態を吐きながらも、
ラオウは己の監視の甘さに苛立っていた。

罪人として投獄された拳士、トキ。
このカサンドラの責任者はそう認識している。
その結果、彼に水や食料を与えず
餓死させるべきとの判断を導き出したのだろう。

しかし、それはラオウの…
否、拳王の決定に背く。

トキの存在は拳王の覇道にとって必要不可欠。
それ故、生かさず殺さず
このカサンドラに投獄し、監禁するのである。

「うぬの処遇、
 リュウガよりウイグルへと伝えさせたが
 それではまだ足りないと見た。
 我が直々に命を言い渡すとしよう」
「…処分を、するつもりか?」
「何?」
「私に水も食事も与えなかった。
 その件に関して、罰を与える気か?」

トキはレーションを手にしたまま
それを口にする事無く、ラオウを見つめている。
自分を殺そうと企てる者に対しても
その慈悲の心は向けられると云うのだろうか。

「殺しはせん。ウイグルは優秀な男。
 まだまだ使い道のある男よ」

その一言に、
トキは見るからに安堵した様子だった。

「つくづく甘い男だ、トキ。我が弟よ」
「貴方の弟だからだ、ラオウ」
「減らず口を…。早く食せ」

トキは静かに微笑みながら、
レーションの吸引口を咥えた。
水分と共に流れ込んでくる米の風味。
忘れかけていた味に心が満たされていく。

「死なせはせぬ」

小さく、呟く様に吐き出されたその一言に
トキは気付きながらも、聞こえない振りを通した。

『愛を知らぬ、情けも知らぬと貴方は言う。
 しかし…本当にそれらを知らぬ者には
 そう発言する事すら出来ないのだと…
 ラオウ、貴方は気付いているのだろうか?
 貴方は間違い無く、愛も情けも知る男。
 そして…それ故に苦しまねばならぬ事を
 誰よりも知る男なのだろう……』

心に秘めたこの思いを、
いつか誰かが気付いてくれるだろうか。
そして…孤独に闘いを挑むこの兄に
救いの手を差し伸べてくれる者は
果たして存在するのだろうか?

『私に残された時間は余りに少ない。
 間に合うのだろうか?
 もし、間に合わなかった場合…
 この重き責務を、誰に託せば良いのか…』

生きる事への渇望は日に日に強くなる。
定められた運命を捻じ曲げてでも
彼には守りたい者が、確かに存在していた。

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SITE UP・2016.12.25 ©森本 樹



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