Megrez・5

喪った悲しみは同じ筈だった。
だが、抱いた憎しみは違っていた。

* * * * * *

赤い焼けた大地に立ち、海を見つめる。
仮面の奥に隠された瞳は誰にも見えない。
見られないからこそ、安心も出来た。
目は心を映し通すと言う。
ならば心の奥を見られない為には隠せば良い。
誰に見られる必要も無く
誰にも見る事は許さない。

「許されるのは…母者だけよ」

先程迄は生きていた【物体】を奈落に蹴り落とし
忌々しげに声を漏らす。

「この世界の全てが憎い。
 俺からあらゆるものを奪い続けるこの世界が。
 全てをこの手で破壊しつくさねば
 この心の渇きは癒えぬであろう。
 何処迄も醜く、何処迄も惨めに。
 これが…宗家が我等家族に行った仕打ちよ」

仮面の奥の瞳が一層妖しく輝く。
魔界に魅入られた狂気の瞳。

「母者よ。見ていてくれ。
 この俺が必ず念願を成就しようぞ」

亡き母の墓標に向けて告げられたその言葉は
同時にこの世界に対する宣戦布告でもあった。

* * * * * *

誰かの悲しみの声が聞こえた様な気がした。
風に乗り、心を運んできたのか。
しかし何故、我が許に?

「……」

月が青く輝いている。
子供達はまだ眠っている様だ。
起こすには忍びない。
物音を立てない様にして行こう。
あの月が、呼んでいる様な気がする。

* * * * * *

月明かりに誘われ、随分と歩いた気がする。
この先にはオアシスが残っている。
その御蔭でこの辺り一帯は
水不足に悩まずに済んでいる。

「正に隠された場所、だな。
 此処が見付からない限り、
 あの村が暴漢に襲われる心配も…ん?」

誰も居ない筈の場所だった。
しかし遠目に大きな影が
ゆっくりと水を飲んでいる。

「あれは…」

咄嗟には信じられなかった。
しかし、その大きさ。その形。
確かに見覚えがあった。

「黒王…号?」

名を呼ばれて反応したのか。
その影は確かに此方に視線を合わせた。
そして嬉しそうに喉を鳴らす。
間違い無い。

「黒王! 黒王号なのか!」

自然と早足になり、駆け寄る。
そのまま首元に優しく抱きつくと
黒王も嬉しそうに鼻先を擦り付けてきた。
先程まで水を飲んでいた為か
適度に冷えた鼻先は心地良かった。

「一体どうして此処に?
 いや、それよりも…お前だけなのかい?
 ラオウは? 一緒では無いのか?」

素直な疑問をぶつけた所で
満足な答えなど返って来る筈が無い。
冷静に考えれば判る筈なのだが
この時のトキは冷静さを欠いていた。

それ程 今の状況は
彼にとって【有り得ない】事だったのだ。

その時だった。

「?!」

気配も無く、いきなり背後から抱き締められた。
羽交い絞めなどではない。
殺気をまるで感じない。
寧ろその逆。
これ程迄に温かさを漂う気は感じた事が無い。

「ら…」
「随分と無防備な背中をしている。
 背後を取るのなど容易いのではなかったのか?」
「…女にうつつを抜かしている男の背後なら、な」
「ならば今のお前はどうだ?」
「…確かに、隙は見せていたか」

互いに顔を見合わせる事無く会話だけが続く。
だが互いの温もりは伝わってくる。
触れ合う皮膚を通じて。

トキはそのまま静かに目を閉じた。
気配だけを感じていたかった。
そしてゆっくりと重心を後ろに預ける。

もう二度と、こんな優しい時間は
自分の下で流れないと思っていた。
カサンドラを出た瞬間に
甘えは捨てた筈だった。
だからこそあの時も死力を尽くせた。
しかし…結局はこの状態である。

突き放そうと思えば思う程求めてしまう。
己の心に嘘を吐いてでも
つけなければならぬ決着を目の前にしても。
矛盾する己の心にトキは気付いていた。
そして足掻いていた。

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SITE UP・2017.04.15 ©森本 樹



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