Alioth・1

「ねぇ、兄者?
 兄者は母者を守るんでしょ?」

無邪気な顔を浮かべて随分と酷な事を言う。
お前は昔からそうだった。
その無邪気さが愛くるしく、堪らなかった。
お前に泣かれるのが苦手だったから
大抵はラオウに任せきりではあったが。
本当はもっと傍に居て、
色んな事を教えてやりたかった。

お前がこの国に残っていれば…
一体、俺はどうなっていただろうか?
この手をお前の鮮血で染めていただろうか。
それとも、この苦しみの淵から
抜け出していただろうか。

トキ。お前は忘れてしまったのだな。
母者の事も、俺の事も。
唯一人の妹、サヤカの事も。

「ねぇ、兄者!」

お前のその可愛い声が、幻となって俺を苦しめる。
その愛くるしい表情が俺から正気を奪う。
俺はもう、愛を捨てた。情も捨てた。
それでも尚、俺を止めようとするのであれば…
この手で、死なせてやろう。
せめて苦しむ事無く、一息に。
それがお前の兄、カイオウからの最期の想いと知れ。

* * * * * *

誰にも知らせてはいなかったと云うのに。

涼しい顔をして隠れ家でもある
この居城に姿を見せたトキに
半ばラオウは呆れていた。

「死期が近付くと勘が冴える」とは
随分悪趣味な冗談である。

物怖じせず、手頃な椅子に腰を下ろすと
急ぐ事も無くゆっくりとしている。
逆にラオウの方が何用かと苛立ち始めた。

勿論、トキの要件は見当が付いている。
ケンシロウを助けに行こうというのだ。
幼子の引率でもあるまいし、と拒むと
今度はシュウへの義理だなんだと反論して来る。
挙句の果ては「サウザーが怖いのか」と来た。

昔から変わらない理論武装。
口論で今迄トキに勝てた試しが無いラオウは
正直、この戦法を打って出た彼に
嫌気が差していた。

「トキ、うぬはこの俺に喧嘩を売りに来たのか?」
「ん? 協力要請だと言った筈だが」
「その割には随分と高圧的ではないか。
 少しは汐らしく出来んのか。
 頼み事に来たと云う態度では無いぞ」
「態度が気に入らないと言うのか…。
 それは困ったな」

困った様子など、トキからは微塵も感じない。
何処か余裕すら感じられるのは
自分の方がラオウよりも
上手に居ると確信しているからだ。
正直、ラオウにはそれが気に入らなかった。

部下は奥の間に下がっている。
とはいえ、流石に声を荒立てれば
何が遭ったか位は察するだろう。

「んっ?!」

トキの肩口を乱暴に掴み、自分の下に抱き寄せる。
無精髭に覆われた顎を掴み上げ、視線を強引に合わせた。
太陽の光が蒼い瞳をより扇情的に演出する。

「どうしてもこの拳王の力を欲するのであれば…
 色仕掛けの一つでも行ったらどうだ?」
「男の私が? どれ程の意味を成すと云うんだ。
 ラオウよ、貴方も随分と
 可笑しな冗談を口にする様になったな」
「冗談でもこんな事は言わんわっ!!」

暫くは苦笑を浮かべていたトキであったが
瞬時に鋭い目付きに戻る。

「時間が無いんだ。兄さん」

トキはケンシロウの為に闘うのだろう。
それは本当に『トキ自身の意志』なのだろうか。
それとも『仕組まれた範囲内』なのだろうか。
彼がケンシロウの為に動く度に、
ラオウはずっと自問自答を繰り返してきた。

「頼む」

短く、再度トキが助力を求める。

「それは、うぬの意志か?」
「…ラオウ?」
「返答次第では、この拳王の兵を動かそう。
 ケンシロウを救いたいのは
 うぬ自身の意志か?」
「…そうだ。私の心が、そう選択した」

ラオウの問い掛けの真意は掴めずにいた。
だが、トキの答えに嘘は無かった。

「兵を出す」
「ラオウ…」
「ついて来い。急ぐのだろう?」

ラオウは足早に支度を整えると
厩舎で待機していた黒王に跨った。

「何をしている、トキ? 乗れ!」
「兄さん…」
「黒王号の足ならば直ぐに聖帝十字陵に到着出来る。
 早く乗れ! 黒王号もお前を乗せたがっている」

ラオウの言葉を肯定する様に、黒王も力強く嘶く。

「解った。頼む」

ラオウの手を借り、トキは軽やかに黒王の背に乗る。
次の瞬間、黒き疾風は
勢い良く目的地に向かって駆け出した。

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SITE UP・2017.05.01 ©森本 樹



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