Mizar・10

「兄…さ、ん……」

呻く様な声だった。
泣きたくはなかった。
せめて、対等で在りたかったから。
この漢の強敵として
認めて欲しかったからこそ
安易に涙は見せたくなかった。

『泣くな! 泣くんじゃない!
 堪えるんだ!』

心の中で自分を何度も叱責する。

「トキ…」

大きくて温かな掌が
そっと優しく頬に触れる。

「残る余生、安らかに暮らすが良い」

それが止めとなった。
長年の我慢が、堪え切れずに決壊する。

「泣きたくば泣くが良い。
 もう…責めはせぬ」

大量の涙が溢れ出てくる。
最早止めようにも止まらない。
止める事が出来ない。

『兄さん…。ラオウ兄さん、私は…』

ラオウの手がゆっくりと離れていく。

「体を厭えよ、トキ……」

気配が段々と小さくなる。
ラオウが去って行く。

『待ってくれ! 私を置いていくのか?
 兄さん!!』

心の叫びは、それでも声にはならなかった。

* * * * * *

駆け寄ってきたバットとリンに
体を支え起こされても
トキの涙は枯れる事無く流れ続けた。
それを恥ずかしいとも思わなかった。
其処迄思考が回らなかったのだ。

「ラオウにとって貴方は…
 ずっと特別な存在だった。
 その想いが、貴方の胸に刻まれている」
「どう云う事、ケン?」
「この痣の形…。
 北斗七星に似てるけど、何か変だ」
「えぇ。まるで北斗七星を
 鏡に映したみたいに…」
「北斗逆昇星(ほくとぎゃくしょうせい)…。
 星の数だけ、生命を伸ばすと言われている
 北斗神拳の奥義の一つ」

ケンシロウはバットとリンにそう説明した。
ラオウはトキを救おうとしたのだと。

「刹活孔の効果を消した上で
 延命の秘孔を突く。
 ラオウ程の拳士だからこそ
 成し得た業だ。
 トキ、生きてくれ…。
 それがラオウの、そして俺達の願いだ」
「願い……」

涙を流したまま、掠れた声でトキが言う。

「星の、数は…?」
「七つ。この技の最大の数迄
 正確に打ち込まれている」
「七日間の、生命…」
「トキ……」

トキはそっと涙を拭った。

「生きて、みせる」
「トキ…」
「七日以上、生きてみせる」

それが自分に課せられた【罰】なのだ。
ラオウの居ない世界で
それでも生きながらえていく事。
ラオウに与えられた生命を燃やして。

又一筋、涙が流れた。
しかしトキの心は
少しずつ穏やかさを取り戻していった。

* * * * * *

ラオウの前に姿を現したのは見慣れた一軍。
リュウガの部隊である。

「お迎えに上がりました。拳王様」
「うむ。大義であった」

其処に居る筈の男の姿が見えない。
ラオウは何も言わず、察した。

『先に逝きよったか、ソウガよ…』

また一人、強敵が去った。
これが戦場、これが…現実。

「拳王様、トキは…」
「最早あの男は闘わぬ。
 我が障害はこれで
 ケンシロウ唯一人となった」
「ケンシロウが…」
「世が世なら、うぬの義弟となった男よ」
「…そう、ですか」

あのユリアが
全てを投げ打ってでも愛した男。
リュウガは思わず眉を顰めた。

「リュウガ」
「はい、拳王様」
「……」
「拳王様?」
「いや、何でも無い。忘れろ」
「…御意」

ラオウが一瞬見せた悲しげな目。
彼が今、誰を思っているのか。
リュウガには痛い位に伝わってきた。

『其処迄想っておられながら
 敢えてトキを手元に置かなかった。
 拳王様、貴方はいついかなる時も
 トキの事を思っておられるのですね』

不器用な兄弟愛。
幼馴染であるソウガが言う通りだと
リュウガは改めて感じていた。

『出来る事ならば二人を
 あの時代に帰してやりたい』

夕陽を見つめながら呟いたソウガの一言を
リュウガは静かに思い返していた。

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SITE UP・2017.06.20 ©森本 樹



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