Alcaid・7

全身から力が抜けていく。
どれ程足掻いても
最早どうする事も出来ずにいた。

『無理…だった、か……』

もう一度だけ逢いたいと強く願っても
やはりそんなに都合良くはいかない。
最期迄、運命は自分に味方をしなかった。
いつだって自分の敵に回ってきた。

『伝えたかった…。
 私の、言葉で……』

ほんの僅かな幸せでさえも
望む事すら許されないのならば
どうして自分は此処迄生きて来たのか。
何の為に、生きながらえて来たのか。
何度も生命の尽きる瞬間が訪れながらも
どうして此処迄生きて来たと云うのか。

死ぬ事が怖いのではない。
想いを届ける事が出来ない。
その事実に打ちのめされたのだ。

『ラオウ……』

恐らくはその名を呼んでいるのだろう。
何度も、何度も。
だが、ケンシロウの耳には届かない。
トキの声は既に出ていなかった。
口をパクパクと動かすだけで
其処から何の音も発される事は無い。

殆ど見えていないだろうその目から
留まる事無く涙が細い筋を描く。

「トキ……」

こんなトキの姿を見る事になるとは
夢にも思っていなかった。
儚く、か細く、幼子の様に。
唯一人を想い、涙する姿。
死を前にしても彼は求めていた。
きっと、ずっとこうして
彼は人知れず求め続けていたのだろう。
唯一人、最愛の兄の姿を。

「トキ…。
 貴方はラオウを待っていたのか。
 此処に来ればラオウに逢える。
 そう信じて、此処に来たのだな…」

トキからの返事は無い。
恐らくはもう…
聞こえていないのかも知れない。
堪らずにケンシロウは
トキを強く抱き締めた。
此処に居る自分では無く
此処に居ないラオウを求める姿に
ケンシロウは堪らなく悲しくなった。

「兄さん…。
 俺に告げてはくれないのか?
 どうしても、自分で告げたいのか?
 他の誰かでは無く…
 ラオウでなければ駄目なのか…?」

改めてケンシロウは悟った。
トキがラオウを追い求める様に
自分も又、トキを追い求めていた。
こんな状況にあっても
それでも自分の方を向いて
笑って欲しかった。
優しくて、頼もしくて、賢くて…
何一つ汚点の無かった自慢の兄。
例え血は繋がっていなくても
自分にとって誇り高き大切な兄。

だが…トキから見れば
ケンシロウも又、ジャギと同様
可愛い義弟に過ぎなかったのかも知れない。
血を分けたラオウへの想いとは
最初から別の物だったのだ。

「…解っていた。
 解っていた、つもりだった…。
 だが、だからこそ…辛かった。
 貴方が一人で苦しみもがく度に
 何も出来ない自分が、悔しかった…」

トキは何も答えない。
幻でも見ているかの様に
震えながら手を伸ばそうとしている。
最早思い通りに動かす事も叶わない体を
それでも必死に動かそうとしている。

刻一刻と時間が流れていくに従い
トキの体から温もりが消えていく。

「トキ…っ!」

返事等は期待していなかった。
だが、今はまだ死神に
この高貴な魂を渡す訳にはいかない。
自分の声で少しでもこの世界に留めたい。
後僅かの時間でも
トキの為に取り戻したい。

ラオウは来ないかも知れない。
そもそも、此処に来ると云う保証は無い。
それでもトキが此処迄に
ラオウの姿を想い、待つのであれば…
せめてその心が満足する様に。

ケンシロウは絶望の中で
必死に光を見出そうとしていた。

* * * * * *

最初は幻聴だと思った。
次に幻覚だと感じた。

しかし、見覚えのある姿が二つ
確かに此方に向かって駆けて来る。
危ないから、とトキの村に置いて来た
バットとリンの姿である。

「バット…? リン?」
「ケン!」
「ケン、トキさんは無事なの?」
「あ…あぁ」

これはどう云う事なのだろう。
ケンシロウは困惑の表情を浮かべた。

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SITE UP・2017.07.10 ©森本 樹



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